社会 雑記

読書紹介『ずっとやりたかったことを、やりなさい』著ジュリア・キャメロン

私たちは現代では副次的な産物による生き方を求められている。

それはいわゆる「借り物の生き方」であり、それをなぞって見せることで同族意識を証明する。

自らの繁栄ではなく社会的な、他者に対する貢献にこそ価値は置かれており、自分自身の生というものを「類型」に当て嵌めて証明することを、今の世界では価値があるものと定めている。

そして、それがあらゆる言葉で遠回しに、正しい生き方とでも言うように誇張されているのだ。

自他との関係は主と従に置き換えられた

興味もない会社にその会社が求めている答えを用意するように、他愛もない世間話に愛想笑いを重ね合うのと同じように。それに満足感を覚えてしまうことで、自他の感受性の欠損を求めるような、自傷的な生き方が既に存在している。

たとえば人間関係も、私は「あなたの敵ではない」という証明が何より先に求められる。「私はあなたの敵ではないからどうかあなたも私を敵にしないでください」という伏黒恵理論ではないが、卑屈な同族精神を表出化することで警戒を解こうとするのは、おそらく問題視されていない自傷行為かもしれない。

ある意味では人間同士の関係も、いつの間にか個人ではなくコミュニティ同士の在り方に挿げ替えられており、対等な立ち位置によって成される「対話」ではなく「貴下に加えていただけませんか」という屈従の精神を他人に求めている傲慢に繋がっている。明言したがらないが、人間関係においても、人間同士が互いの本質を見て見ぬフリをし合って、演技を求めながら生きていることとなるのだ。

まるでそれが世の中であり大人であると正当化されることもあるが、それは本当に正しい生か否か。今一度立ち返って考えてみてほしい。

偉大になりたいのではなく、偉大に見られたい承認欲求

また、強者というカテゴリに内包されることで、自分自身に価値があるように他人に見せたがる者がいる。彼らは「価値がある存在になりたいのではなく、価値がある人間だと他人に見られること」を願っており、他者ありきの物差しのために行動しているに過ぎない。

当たり前だが、コミュニティの意識というものは民主的な支持によって織りなされているものが多く、その支持層を敵に回してしまっては、個人は最早そこでは生きていけない。何かグループに属している中で、当たり前の個人としての帰巣意識によって生きているだけにもかかわらず、彼らは自分が認められており、価値があるのだと錯覚を起こしてしまう現象が若年層の間でも起きている。さらに、SNSやコミュニティの繋がりが広がったことでその意識は肥大化しつつある。

本来の定義として強者などどこにも存在しておらず、勝手なイメージだけの虚像に過ぎないものを言葉を紡ぎ出して広めようとしているのは、今に始まったことでもなく、ある意味ではそういった虚像を掲げて支持を得ようとした政治社会の例を挙げたらキリがない。

いずれにせよ、すべての根源は他者に認められるがための世迷言でしかない。あの時代はよかったという表現も、時間の感覚というものは流動的で絶えず、移ろいゆくものであるにもかかわらず、その価値観に適応できなかった者が、自分に優しかった甘さを未だに賛美しているのもその一種だろう。

我々が創造的な主として幸せに生きるためには

村社会的な「幸も不幸も同列にもたらされなくてはならない」という精神性。皇族から武家社会など歴史的に根付いてきた日本の価値観とはいえ、それが未来を閉ざして誰も幸福を目指せなくなりつつあるなど、足を引っ張っているのは自明の理となりました。

しかし、暗夜行路の中では自分の足で立って生きる術を知らない存在は、上記のように無我夢中で頭を下げ、それがまるで「謙虚である」という美徳に都合よく置き換えようとします。その問題が根腐れを起こそうが、自分の虚栄心が満たされていればそれで満足を覚えるという、ネットの掲示板を馬鹿にできない精神が、世の中で溢れ満ちることとなりました。

自ら他者に屈服してへりくだる姿勢に美徳を感じるという押しつけが、まるで個人が自らの幸福をつかみ取ろうとする邪魔立てに繋がってきたこと。おそらく、「おもてなし」のような思考誘導させるニュースピークに近い、物事の本質を美辞麗句で覆い隠そうとしているままでは、我々は幻想の時代にこれから突入するのだろうと思う。

ただでさえ外国語やテクノロジーに疎いことを良しとしてきた負債を抱えてきたまま、AIの参入に反応しきれていない時点で「出遅れ」という言葉では言い尽くせない世界との乖離が既に始まっているのかもしれません。

物事の真価を問えなかった者が、自分はそうしてきたのだから正しいという思考停止の理屈によって、勝手に結論付けてきた者は夢見心地に退場することが叶いますが、そういった理屈に振り回されている、「これからを生きる人間がどう生きるべき」なのか。

創造的な生き方によって生み出された結果によって、人は社会に向けて何かを発明して価値を生み出すことができたのだが、我々が手放してきた創造的な生き方と呼べるものは、どのように取り戻すべきなのか。

そういったはじめの一歩を踏み出すのにオススメなのが

ジュリア・キャメロン著『ずっとやりたかったことを、やりなさい』

あなたがあなた自身の幸福を願えるように、この本を紹介いたします。

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