社会 雑記

「上級国民」というエリート層の自意識が表沙汰になったのは何故か

近年になって表沙汰になる「上級国民」の失態やミスの報道

テレビのニュースでもエリートによる傲慢や失態による話題が埋められている中、あらゆる反応がネットでも見られます。このエリートに対するレズポンスは、最近鋭い意見のものに変わりつつあり、時代が進むごとに彼らは厳しい目で見られるようになっています。

何故、このような対立が近年になって浮かび上がってきたのか?
この答えにはまさしくトピックである「人権問題」や「美醜の価値観」に「性別や貧富の格差」など「概念的な議題」が本格的に挙がるようになってきたため、彼らの見識がはっきりしてきたからということにあります。

アメリカ社会の格差への認識

例えばアメリカ大統領選で顕著であったのが、エリート層に相対する位置にいたトランプ氏が、女性やLGBTなどの諸問題に関して差別主義者であるという事を吹聴してきた点です。
しかし、高学歴のエリート層は、国の衣食住を確保するのにあたって原初の仕事である第一次産業に属する労働者の反感を買っているわけです。ここが労働者たちの支持を集められたトランプ氏の当選に繋がりました。
アメリカのエリート層は学歴の差や外見についての差別を隠さない本心、つまりは庶民たちと自分たちの差異を認識し、自負していました。そして、これらの要素は「努力」で解決できるというのが彼らの言い分なのでした。

汗水流して汚れながらも必要な仕事に取り組む人間は敬意を持たない対象であり、そこから脱するためにエリートの言い分である「努力」をするのが正しいらしいです。実際、マックで働くという事に関しての外国人の認識は有名ですね。しかし、彼らのその前提は主観的に過ぎないことが最近露呈しつつありました。

勉強法や自己啓発本による「エリートの見識」の露出

エリート層が本にしてよくまとめて語りたがる勉強メソッドや意識の形成。これは万国共通であると思われますが、著者であるエリートは知らず知らずのうちに勉強メソッドや自分の取り組んできた物事そのものではなく、置かれてきた身分やメンタルの補助、家庭による学習環境を支援してもらっているという、極めて恵まれた環境の上に成り立っているということを無自覚に語っています。それにも気付かないで「自分が語ったように頑張ればいい」という、彼らが当たり前としている物事以前の問題を抱えている人にとっては参考にならないことがあります。

本人はこれらの要素を勘定に入れず「己の努力の仕方で成功できるのだ」ということしか前提にしておらず、他人の苦悩は努力以前の問題から起こっていることに全く無知であったりします。

庶民とエリートの隔絶が明確となった現代

これは政治家が世相の反応や声に対して鈍い理由の一つとなっています。
特に、何が差別なのかという視野や、賃金に関する認識の甘さは日本も例外ではなく、この国は戦後の民主化が推し進められた延長としてアメリカモデルを目指しているため、本国でも取沙汰にされつつある近代の問題に、自主的には解決を見出せない状態です。

そして、アメリカや欧米では非常に大きな問題として見られているから「とりあえず日本もそうしなければ」という見よう見まねによる施政の中で、日本でもエリートの失態が晒される社会となりました。皮肉ですね。

当然、市民の批判が集まる中で、それにも関わらず「努力」と「見識」があると自負しているエリート同士として身内を庇い合おうとする「上級国民」の姿が表に晒されることになりました。

何が恐ろしいかって、ただのネットスタングだった「上級国民」というキーワードがウィキペディアにあり、ニュースや新聞でも用いられるのであれば、これは一般化が進んでしまった価値観となってしまいます。本来なら国家が社会に対して説明責任を果たすべきなのに、それが無視されるような民主主義社会だという勲章にもなっているわけです。

じゃあエリートの自意識であるノブリス・オブリージュってなんだったんだよってなりますが、これについての自意識はまた明日更新いたします。それでは。

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