専制君主制から生まれたもう双子の傍らである民主主義。
これはそれこそ、専制主義に匹敵するほどの長時間生き残っており、今も存続しています。
君主によって成される権力機構のアンチ
過去の記事で繰り返したように、専制政治が滅びたのは監視者である王が腐敗したからでした。
絶対者であり監視者の腐敗は専制政治において切っても切り離せない問題。国民は貴族に、貴族は王に監視される事で腐敗は防止されますが、王を監視する者は誰もいない。
王はただひたすら自分で自分を律しなければいけません。
王の役目を二人以上に増やせば派閥が発生してしまい、派閥はやがて内部の対立を生み、対立は内乱を生みます。
だからこそ、王は唯一絶対であり、一人でなければいけない。これは専制政治が発生と同時に確立された真理です。
『銀河英雄伝説』作者である田中芳樹氏の主張としてナンバー2不要論が挙げられています。
世界の歴史でも、君主の後継者問題にあたったとき、ナンバー2あるいはそれに反目していた同格の存在が実権を握ろうとして、次の席に位置していた者同士で争いを重ねる。また、当事者にその気はなくても、権力闘争の神輿として担ぎ上げられる可能性を生んでしまうという念がありました。
「ナンバー2=ナンバー1に取って代われる存在」として混同せず、あくまでナンバー2とは補佐役として陰に徹することが求められる。
しかし、君主の座に就くのは人間である以上、後継者問題は切り離せない。
ケースバイケースであり、君主が存命の時に下剋上される可能性の余地を残すか、死亡後に権力の座の不在による動乱を許すかの違いでしょうね。
ノウハウを築いて国家が安定しているのであればこそ、国家の内乱になり得るのが後継者問題であり、日本でも徳川家康は織田豊臣等のそのリスクを見てきた上で、後継者を残しているわけですから。
そして、民主主義は専制システムそのものを、国家としての永続は果たせない幻想として、否定する立場にあります。
国民による承認システム
まず、この最大の特徴としては、何かを決定して施行するというプロセスに時間と手間がかかる構造であった事があります。
君主の意一つであらゆる過程を飛ばして物事が実行される専制政治のアンチとして生まれた民主主義は、専制政治とは逆に何をするにしても複雑な手順と支配者である国民の承認が必要でした。
しかしこれには、過去の歴史で起きてきたようなクーデター、要は政権転覆のような下剋上も含まれています。
相互監視社会という形態から、準備や戦力、それに国民の承認を勝ち取れるだけの大義名分を用意する時間、手間がかかってしまい、身内の裏切りや告発などによって、発覚する機会が増えてしまいました。そんな危険と手間をかける位なら、仲間を集めて選挙で政権を奪った方が楽になりました。
このように、たとえお題目だとしても、実質的な支配者が多数の国民であったというシステムは確実に影響をもたらしました。
国政を絶対者という個人ではなく、多数の民衆によって選出され、選挙によって容易く変わる不定の議員という存在に委ねる。
これによって代表者を通して民意を常に反映、民衆に自分達が政治を行っているという満足感と義務感を与え、また議会という派閥と対立の場を用意する事で息抜きと監視を行って内乱を防ぎました。
議員を立てることで相互監視社会の実現
民主主義の巧妙な、ある意味狡猾な所は、権力の執行側に立つ議員という存在を、自分たち民衆に奉仕させる役割を制度として定めた事です。
民衆の意に沿わない議員や、民衆の意に逆らった議員は、民衆の支持を得る事が出来ずに選挙で淘汰される。議員に常に自身の任命権を持つ民衆によって監視されている事を自覚させる事で腐敗を防ぐ。
最上位にある民衆も、多数であるが故に相互に監視しあう事で腐敗を防ぎ、また仮に腐敗した者がいたとしても民衆の代表者である議員による多数派によって腐敗した民衆の代表者である腐敗した議員の意見が通る事はない。
構造的な弱点は、何をするにしても合議のために時間がかかる事以外は、完璧な政治形態である民主主義は一時代を築き、あらゆる技術は進歩し、生活水準は向上し、人類に繁栄をもたらしたわけです。
ただし、前提として民衆全員にそれなりに高い教育が必要になりましたが、このシステムを築き上げたうえで産業革命やらなんやらで民衆に余裕が出来ていました。技術の進歩で生きる為に割かなくちゃいけない時間が減った事で、余った時間を教育に充てられる影響が大きかったのでしょう。
そして、これを支えられた最大の原因が、相性の良かった資本主義と徒党を組むことが出来たからです。