私は高校生の頃、説法が好きな教師の言葉で授業中よく言われてたことがあります。
「社会人になったら、今までの自分の価値観を壊される」
まあ一見すると、なんかムカッとくる言葉ですよね(蹴
その言葉がどういう意味で、どのような過程を経て、そうなるのか注視しながら生きてきました。
そうして時を経たので、ある程度の結論について語っていこうと思います。
社会に出たら「価値観を壊される」のか?
正直、社会人になってから人生のターニングポイントになるような衝撃に襲われたり、そんな実感はどこからも湧きませんでした。
じゃあ「あの先生は間違っていたんだな」と思うところですが、そういうことでもなく、彼が言いたかったのは「自分の価値観を壊しながら、あらゆる物事と向き合える姿勢が必要」というのが自分の結論です。
「価値観を壊す」とは「受け容れる」こと
若輩ながら、あまり大きな声では言えませんが、基本的に今の若者は割とシビアな捉え方してます。むしろ、コロナなどの渦中で「ままならない人生」を既に送っている側とも言えるでしょう。
厳しい現実を見据えたうえで、進むべき道を選ぼうと就活をしていたわけですから。彼らは既に真面目に生きようとする中で「価値観を壊しながら生きる」という術を無自覚に身に付けていると思います。
「自ら価値観を壊す」ということは、自分以外の「他を受け入れる心がある」ということ。
受け入れがたい現実や価値観を受け入れる心を持つのであれば、そこから学び、自分を育めるようになることが大事なのだと思います。
価値観を壊すことから「何事にも向き合える真摯な大人」を目指す一歩が始まるということ。
あの先生が言いたかったことは、こういうことではないかと、僕は勝手に思ってます。
別に恩師というわけではないのですけどね。
今の若者は既に価値観を壊しながら生きている
世の中の現実を受け容れることが求められているなら、若者は既に学んでいました。
重要なのは、そこからどうやって向き合っていくべきか?という疑問。
この声に応えることが、社会に出ている先輩の役目であるのでしょう。
しかし、それを果たせている人間はどれほどいるのでしょうか?
なんだかんだ現実と向き合いたがらず、自分の都合良く物事を解釈する輩は社会に存在しています。
受け容れながら若者が前に進むために
新入社員の方々は、これからどんな出来事が待ち受けているのか既に戦々恐々としているかと思います。
むしろ心配なのは、そういった困難や経験を経た末に、自己肯定感を失くしてしまうこと。必要以上に卑屈な人間にさせてしまい、閉塞感が本人を潰してしまうことにあると思います。
そもそも、あるがままに「物事を受け容れられる」というのは「無力感」と表裏一体というのがあります。
最悪、自ら何も行動を起こさなくても給料は受け取れるわけですからね。
それを理解したうえで、いかに経験を積ませ、前向きに成長させるのかというのが、会社の課題なのでしょう。即戦力やら人財が欲しいと言いながら疑問すら許されないなら、それを怠っているのでご注意を
どうか新社会人の皆さまにとって健やかな一年となりますように。