民主主義が完璧な政治形態であるためには、前提条件がありました。
それは、腐敗した者より、腐敗していない者の方が多いという大前提が必要ということです。
腐敗は上位層から成り立つ
民主主義は多数決です。
腐敗した者が多数派になってしまい、選出されてしまった腐った議員は、国政を担う議会そのものを蝕みます。
こうして専制政治で王が腐敗したのと同じ現象、つまり、議員や役人の腐敗が起こってしまうわけです。
忘れてはならないこととして、これまでの記事の内容のように、民衆の多数派によって政治運用を担う者が選出されるので、基本的には最上位に位置している民意の反映です。
つまり、議員や役人の腐敗とは、最上位に位置したはずの民衆の腐敗すら意味しています。
クラスの教室単位でならあり得るかもしれない現象が、億を超える国家で起こってしまっているのです。
民主主義の創設者達もきっとこう思っていたでしょう。
「そんなことはありえない」と。
でも、実際に腐敗は起きてしまうようになりました。
政治とは面倒なもの
皮肉なことに、共産主義が潰れたのと根っこは同じです。政治に参加する為には、本来なら時間をかけて議員の一人一人の主張を理解する必要があり、面倒な選挙にも参加しなくてはならない。
何故、自分がそんな面倒な事をする必要があるのか?
皆が決めてくれるんだから自分は参加しなくても大丈夫。もっと頭のいい人が決めてくれる。自分は忙しい。
政治に参加するのは権利であって義務ではない。権利は使わなくていい。
実際、選挙に行ってないという方は、皆さんも自分を含めた身の回りにいるでしょう。誰だってそうです。政治なんて面倒で、できれば自分の時間を削ってまで参加したくない。
誰もがそういう人になった結果、民主主義は終わります。
人間の不完全性による腐敗の連鎖
そういう意味では、民主主義もまた不完全な制度でした。
打ち立てられた当初は初雪のように清廉だった民主主義は少しずつ、少しずつ腐っていきました。
過去の歴史にあったような政情不安を打開しようという不穏だった世の中から一転し、安定を迎えた結果ですね。
手間を惜しんでまで政治に興味を示したり、関わりたいと思う人、未来ではなく今だけを考えたい人が時代を追うごとに少しずつ、でも確実に増えていきました。
最初は無視できる数でした。しかし、気がつくと無視できない数に膨れ上がり、最後には半数以上を超える。
一度そうなってしまえば、もうどうしようもありません。
賢者の声は多数の愚者に押し潰され、駆逐されるべき政治家は実現不可能な甘言で愚者を誑かす。
そして、自らを多数の代表者としての正義として崇めさせて、その裏では隠れ、もしくは堂々と不正を犯して己の利益を貪る。
また、監視役のいなくなった役人も腐ります。上がやっていることなら咎められることはありませんからね。
政治家と役人の腐敗のツケは民衆にたらい回しにされ、腐敗した民衆はその責任を他者に押し付け、具体的な行動を起こす事もなく、ただ不平と不満を喚く。
専制主義なら、賢い王が一人でも立ってくれれば状況は打開されるでしょう。
しかし、民主主義では仮に賢者が出たとしても、既得権益を守ろうとする政治と愚者に押し潰される。
そこが民主主義の弱点であり、一度機能不全に陥ると後は、腐って崩れるのを止める事は出来ない。
そうやって濁りつつある民主主義にも上手く取り入って成長を続けているのが、加速する資本主義でした。
資本主義が何を指しているのかは、過去の記事をご覧ください。
以上、銀河の平和のためには何事もバランスが大事だというお話でした()