歴史や社会が教えてくれるように物事というものは、何かしらメッセージを発しているもので、そこから推測して理論付けていくのが本懐だ。
何かを確定的に断じること、あるいは理解できないことを他の偶像に当てはめて一括りにしようとする考えは、やがて二項対立に基づくようになり、他人の言葉を吟味するよりも先に、それが善悪か、あるいは敵か味方かで判断するようになってしまう。
SEEDシリーズ、特にDestinyにおける物語で、全体的なキャラクターが抱えている苦悩はここに起因している。
アスラン・ザラは前作から本質的に変わっていないまま
アスラン・ザラという男は元から物事を二項対立に持っていきがちだった。
前作ではカガリとの出会いや同期である二コルの死、キラとの死闘を経験して、戦いを終わらせるために自らキラと共に歩むことを選んだ。あの時点では連合と戦うという介入目的は一致していた。
あくまでザフトに言われるがまま戦い続けることが正しいと思えなくなったこと。
そして、真意を確かめようとプラントに舞い戻ってナチュラルの殲滅を掲げる父親パトリック・ザラの狂気を目の当たりにしたことで、それを間違いであるとして自分なりの戦いを選び取ったのがSEED終盤だ。そして、アスランは最終的にジャスティスの核爆発という自殺をもってそれを食い止めることを選ぼうとした。
カガリの生きる方が戦いだから逃げるなという願いを受け止め、それは思い留まることができた。が、フリーダムに乗りながら誰よりも不自由であるキラと同じく、乗機のネーミングであるジャスティスに対する皮肉を抱えていたのがアスラン。
自らの「選択」そのものではなく選択の中の「正義」に重きを置くという意味では、アスランが人間的に変わるということはない世界に対するケジメや責任の取り方から生じるそれがアスラン自身の成長という要素ではなく、むしろ「呪い」として描かれていたのかもしれません。
そして戦後、生き残ってしまった自分の存在理由を求めた先が「カガリ」という他人に向いたことで待っていたのは苦悩と挫折。
そこから生じる「アスランの本当の旅路」が続編DESTINYで描かれる形となりました。
「等身大の男」としての初めての挫折
自分の抱えている正義に則って生きようとしても、そのやり方がわからないまま、彼は自分の恋心に従ってカガリの傍にいることを選んだ。
しかし、ザフトを離反して父親を死なせてしまった負い目を背負ったことや、身分を隠してのアレックスという謎の専属護衛に過ぎない立場に徹してオーブの面々からは白眼視されたり、カガリの公務を助けたり介入することはできないこと。
仕事もプライベートも思い描いていたような順風満帆というものではなく、ザフトにいた頃には考えられなかったことだが、人生が自分のコントロールから離れ、日常の中でも他人との関係の中で上手くいかないものであること。
好きな人間と一緒にいることを望んでいるからこそ生じる「理想と現実とのギャップ」に、あのアスラン・ザラが初めて苦しむ羽目になってしまっていたのだ。
そしてそれをアスラン自身が恥じるべき弱さとして、誰にも打ち明けることはできないフラストレーションとして溜め込み続けたことで、戦乱から離れてカガリと慎ましく暮らそうと決めていた彼の歯車は狂ってしまった。
護衛としての務めを忘れてモビルスーツに乗り込み、カガリを退避させないままシンの乗るインパルスを助太刀しようとして、大切な彼女に怪我させてしまうなど、
戦うべき相手を見たら黙って見過ごせない「ヒーローになろうとしている自分」を突き付けられたことから、アスランにとってのDestinyの物語はスタートを切った。
そこから無力な自分に嫌気が差していること、オーブの政争に巻き込まれてユウナをはじめとするカガリを取り巻く輩から追い立てられそうなことを、誰よりも大切かつ自分が力になってあげる側でいたい相手だからこそ、カガリに意地を張って隠し続けたこと。
そういった唯の男の子が「自らの意志」でと口にしながら、自分にできること、英雄視してくれる「居場所」としてザフトに逃げ帰ってしまったこと。
自らに課せられたとされる「使命」に縋ってしまったことで、アスランの自分探しを兼ねた旅であると同時に、
そうとは知らずに選択してしまった現実逃避(ザフトのアスラン・ザラ)に向かった旅路が始まったのです。