今回はガンダムSEEDシリーズの世界観語りをやってみたいと思います。
劇場版を控えた今だからこそ作品論評ではなく、あくまでも設定や物語に基づいた世界観の解説をしながら、本編の振り返りを改め、この作品に関するドラマ性、そしてその根幹にあるテーマについても今一度言語化してみたいと思い、今回は記述しています。
旧人類vs新人類の対立構図
まず、今作のテーマである自然に生まれた『ナチュラル』と呼称される人類と、それに敵対する宇宙移民の新人類『コーディネイター』と呼ばれる存在について。
ナチュラルとは地球上に住まう「自然に生まれた人々」のことを呼称しており、彼らの中からコーディネイターという存在が誕生しました。
コーディネイターとは遺伝子調整によって「あらかじめ強靱な肉体と優秀な頭脳を持った新人類」として命名された存在であり、生まれ持った遺伝子に他の優秀な遺伝子を組み込んだ人種です。
人類種における優生学的理論に基づき、高い技術と資金に人間は人工的に改良し、その成果を上げる遺伝子がその人物の価値を決めるという思想として形を成したものでした。
そんなコーディネイターが集って一足先に宇宙進出を果たし、歴史を重ねると独立を果たしました。
そうして彼らが集った宇宙コロニー『プラント』のイデオロギーと化したのが、この対立の発端となりました。
コズミック・イラに至るまでの歴史的経緯
そもそも、C.E.(コズミック・イラ)以前の世界、つまり旧西暦のような近未来の時代ではBC兵器や放射性物質テロによる遺伝子汚染という爪痕から、遺伝子治療技術が解禁されたものが事の発端でした。
そこに住まう人々の無傷且つ健康な部分を繋ぎ合わせる技術であり、遺伝子の損傷を次世代に継がせないためとするものから、やがて強化的な意味合いに視野を置かれるようになったのが、コーディネイターの誕生につながりました。
「人には、まだまだ可能性がある。それを最大限に引き出すことができれば、我等の行く道は、果てしなく広がるだろう」
最初のコーディネイター、ジョージ・グレンが外宇宙に旅立つ際、様々な功績を残した万能の天才として尊敬を集めてきた自分の出生の正体を明かして、後に続く者の存在を願った。
しかし、この衝撃の発表に世論は反発。
なぜなら出生前の遺伝子操作技術は禁じられていたからです。
しかし、彼の残した言葉によって、他者から望まれた通りの完璧人間という魅力に抗いきれなかった富裕層が違法に遺伝子を弄る処置を受け、コーディネイターに憧れた存在の数を裏で増やしていき、旧世紀の既存宗教の権威の失墜から「コーディネイター寛容論」や「遺伝子操作アレルギー」を旗頭に認める運動が盛んになる。
そこから、一般人にも手が届くまでコストダウンされたものが今に至ったわけです。
しかし、遺伝子調整技術も万能ではなかったので、彼らの存在はやがて問題を抱えるようになりました。
第一に、子供に対してどんな遺伝子を組み込むかは親の考え次第。
それゆえに、子供の基礎能力は高く仕上がりやすいが、多くを求めすぎたがゆえに過度な調整の反動によって子供を作れなくなったり、本来望んだはずの才能が発現しないことが発生。
その問題に直面した親は子に対して欠陥品と判断し、子に対する失望から親権を放棄してしまうケースが多々起きてしまう。
さらには、不安定な母体からでは設計したとおりに生まれる確率は極めて低いという事実も判明する。
『SEED』主人公であるキラ・ヤマトが誕生を果たした唯一の成功例であり、人工子宮を開発し、それを用いて受精卵を発育させ、幾多の失敗例の山を築いた上で人工的に生み出した完璧な調整を施されたそれを『スーパーコーディネイター』と呼びました。
コーディネイターの重なる世代と共に深まる溝
このように、ある設計に基づいて生を授かった人間たちをコーディネイターと呼びます。
しかし、彼らの出生率の問題は深刻で、劇中でプラント代表者の子であるアスラン・ザラとラクス・クラインが婚約者とされてたのも無論、プラント内の政治的思惑も含まれてたのですが、子供を作れる組み合わせというのが前提にあります。
これらの問題点から、ナチュラルとの融和を推すシーゲル・クラインと、パトリック・ザラによる科学技術の進歩でこの問題は解決するとされた主張が、プラントにおける派閥として二分化して別れていた。
そして、ここで重要なのは、あの世界では第一世代でも「医療を目的とした調整や遺伝子治療」を受けただけの者ならば、コーディネイター間ではナチュラル扱いとされていることです。
そもそも、最初のコーディネイターであるジョージ・グレンが偉人として語られてますが、その彼が、一分野に留まらない活躍をしてるとこを見ると彼が完璧すぎる成功例だったのが、この争いの発端だと呼べます。
彼の語った本来の「コーディネイター」とは「新たに生まれるであろう新人類と人類の架け橋となる調整者となるように」と彼が名付けたもの。
しかし、後年になってコーディネイターの才能開花や容姿に注目した人類が遺伝子操作による後遺症を解決できないなど、上手く操作できてないことを考えると、相当な数の開花しなかった遺伝子技術以前の問題として、そもそも偉人となったのはジョージ自身が謙虚な人格で元から努力家であったことが影響しているでしょう。
そして、『DESTINY』の主人公であるオーブ出身のシン・アスカ。彼もまたコーディネイターとして生まれていました。
彼のケースでは、親が第一世代コーディネイターであり、その子供として分類する『第二世代コーディネイター』として数えられます。両親は病気になりにくい耐性という、ある意味、最初の遺伝子技術向上の根底にあったであろう愛情として一般人に手が届く僅かな調整を受けた存在であり、シン自体が後にデュランダル議長から偶発的にキラを倒せる可能性として注目された点を除くと、プラントに渡ってからは、ほとんど努力で立ち回ってきたようなもの。当時、成績的にはシン以上でトップだったレイ・ザ・バレルもまたクローンとして遺伝子的にはナチュラル側の存在です。
ここで面白いのが『SEED』主役であるキラとアスランがスーパーコーディネイターという特注モデルや軍用スペシャルなコーディネーターという『第一世代』だったのに対して『DESTINY』主役であるシンとレイの両者は共に、ナチュラルとコーディネイターの間に位置された中間的な存在とも呼べるものであり、彼らが戦後のプラント勢力のエースとしてデュランダル議長の腕となったのは皮肉でもあると個人的には思います。
運命どころか、むしろ戦争が起こる前は自由だった彼らの人生の行末を思うと凄まじい皮肉です。
人類の可能性と相反する天才アル・ダ・フラガのクローンたち
キラ本人の性格や育ての親の教育方針によって、生まれた当初は最高の才能持ちだとしても、適切な訓練や学習による教育を受けず、浪費として無意味になった部分も多い。アスランも音楽なんかサッパリです。
実はこれは、どのコーディネイターにも当てはまることです。キラは、ソフトウェア関係は興味の対象として工業学校に通い、秀でた能力を見せて担当教授からも一目置かれる存在だった。
そしてスーパーコーディネイターは戦闘にも重きを置かれた設計として、キラはパイロットとして目まぐるしい成長を見せることとなる。また、彼の失敗作としての烙印を押されたカナード・パルスもスーパーコーディネイターに近い設計ながら、開花した戦闘能力を買われている。
そもそも、作中屈指の天才であるアル・ダ・フラガがコーディネイターではなく自分のクローンを作らせたのは、自分の遺伝子を受け継いでいる息子ムウ・ラ・フラガが、能力的にアル自身の合格ラインに達してない、母親との子として他人の遺伝子が入った欠陥品と断じ、自分と同じ能力を持てる他者は存在しないと結論付けたことでした。
つまり、自分のクローンにしか己の代替にはなり得ないと、アル自身の遺伝子を弄らないクローンを欲して、当時、スーパーコーディネイターの開発で資金難だったヒビキ博士にスポンサーとして接触。
クローン製造は違法だと訴えられるも、上手く言いくるめて制作させた『ラウ・ル・クルーゼ』が最も完成度が高いとしたその一人。
ここで肝なのが、あくまでも遺伝子操作によるスペックを良しとせず、自分という要素を全て受け継いだナチュラルという存在を求めてたことです。
そしてある意味、その結論に間違いはなかったことがナチュラルとコーディネイターによる戦争の中で証明されました。
クルーゼは遺伝子技術を扱える資産力がものを言うコーディネイターの世界において、後ろ盾を持たないまま努力と根性だけで世界最高峰のパイロット兼指揮官に成り上がりました。
さらには、元は格闘戦に重きを置いて開発されていたが路線変更されて、ただ出したいという理由だけで新兵器を実装した単純な操作もクセがあり、実戦投入が難しいとされたプロヴィデンスを初搭乗で乗りこなし、優れた空間認識能力を活かして、前人未踏の新兵器ドラグーン・システムまで誰よりも自由自在に動かしてる時点で、ただ戦闘向けにデザインされたコーディネイターなんて目じゃないレベルです。
この時点で、プラント勢力は『コーディネイター』が『ナチュラル』よりも優れた存在であること。「旧人類から独立した新しい種族」であるという主張に至ったパトリック・ザラの大義名分を真っ向から否定する存在を右腕にしていました。そんなパトリックでしたが本人はコーディネイターの未来が暗雲に満ちていることも、自分たちの力を信じろという一点張りの主張。
ジョージが遺伝子操作の詳細なマニュアルを地上に向けて公開していました。だが、注文と違うというクレームつける親が存在し、基礎値が高めに収まる程度では満足できないと満たされない者がいる一方、世界規模では成功例がどんどん目立って活躍する中で、ナチュラルでもブルーコスモスの盟主であるアズラエルのような嫉妬と、操作された才能持ちに対する怒りを抱かれる。
その結果、大した調整を施されてなくてもナチュラルにとっては変わらず選ばれたコーディネイターとして映る。しかし、ナチュラルからは『第一世代』『第二世代』というものは無差別に偏見が持たれる一方で、コーディネイター間では貧富の差による能力格差が開く社会がそこに築かれていました。
この負の連鎖に自分たちの存在意義を疑問視したコーディネイターは、自分たちの世代でその存在を終わらせようとブルーコスモスに協力してる者もいたといいます。
彼の語った人と異人種の調整を担うコーディネイター論は全く受け継がれていないどころか、互いを宇宙人のような外敵として絶滅戦争まで仕掛け合うにまで至ったのが彼らの世界でした。
終わらない明日の先には
最終的に、ナチュラルとコーディネイターのどちら側にも立っていないクルーゼは賽の目を投げ続け、人類が行くその道を見極めようとした末に、自ら滅ぼす方向に加担する道を選んだ。そして、それを食い止めたキラもまた心に傷を負って世界との関わりを拒絶、表世界から姿を消しました。
そして後にクルーゼの友人だったデュランダル議長は、世界を背負う立場の中で運命付けられた生き方によって争いを無くす道を提示したが、それは人が人らしく生きられないものだと対立を招いて、自分の道に殉ずることとなった。レイ曰く答えを出さずに惑わせているのはどちらの方だ、と世界の行く末について憂いている言葉も描写されています。
そして、逃げることをやめて覚悟を決めたキラとラクスが、他者が引き受けてくれていた世界の責任を背負うまでが『DESTINY』の物語となりました。
ここで主人公が変わっていることが話題の種ですが、なんだかんだ『SEED』後の世界で敵勢力の強化人間に同情して救いの手を差し伸べたり、自分の不幸を呪わずに前を向いて生きようとして、曲がりなりにも世界のために心を砕いて戦い続けたのは続編『DESTINY』の主人公とされたシン・アスカであったのは間違いないと思います。
しかし、彼がナチュラルとコーディネイターのどちらも助けるを体現し、それでも何一つ報われないことが最大の不幸でした。
ただ、決して逃げなかったシンに対して一緒に戦おうというキラの言葉があります。
たとえそれが間違っている道だったとしても、世界の為に戦い続けていた自分の存在を誰よりも認めてくれた言葉だったのだろうなと、シンが涙を浮かべてキラと握手をして、二人が仲良くやっている未来が語られたのは今は嬉しく思えるほど年を重ねました。
アスランは二人とは距離が出来た模様ですが、彼の信じる正義故に仕方なし。
「標的は…テロリストのみに限定されるものでありますか?」
外伝 『スターゲイザー』にもあるように、ネガティブな感情や皮肉に満ちた厳しい世界でも、そこに生きる人間の優しさが決して失われていないという物語で、だからこそ他人の為に行動したり涙する人物、分かり合えた姿に感じ入るものが大きく映えるし、それが何より印象付けられるのが20年経ても色褪せず、人を惹きつける理由なのだろうと思います。そんな人間味溢れるドラマとして、心に刻まれる作品となったと、今は受け入れながらそう思えています。
劇場版では生き残った人類にどのような物語が待っていたのか 非常に楽しみですね。
クレジット順はトップかせめて二番手にシン・アスカだけはお願いします