作品解説 解説

『DEATH NOTE』考察 夜神月による現代版『罪と罰』について

言わずと知れている人気作品であり、アニメや実写映画に限らずハリウッド版まで展開されている名作漫画『DEATH NOTE』
この作品で話題に挙げられるのは頭脳戦の攻防、犯罪者を抹殺することで平和な世界にするキラの主張が正しいか?という善悪二元論が多く、主人公である夜神月の心理描写についてはあまり注目されてないので、今回は各媒体での彼の内面についてフォーカスしてみます。ハリウッド版も一応視聴しましたが、別枠としてあえて語ってないのはご了承下さい。

夜神月という人間の本質について

月の変貌そのものに着目されていますが、元からキラの思想に偏っていたかと言うと答えはノーです。身も蓋もない言い方をすれば「あいつは死んで当然だった」という主張を掲げるようになってしまったのが、月の狂気の始まりでした。

月が「人殺しをした」という事実を重く受け止めたことで、人を殺すのにあたる「自分の行いを納得させられる理由」を求めたことが物語の始まり。これは、ドストエフスキーの著書である『罪と罰』とまったく同じ物語の起点でした。

各作品での月の動機付け

「この世の中は腐っている」

これが最初の月の台詞でした。月にとっての最初の殺人として、既に6人殺傷していた立てこもり犯とシブタクという男がターニングポイントになっているのですが、実は各媒体で大きく違いがあります。
シブタクもとい渋井丸拓男はアニメ版では集団で女性に襲い掛かる卑劣な輩として描かれており、多分ファンもこの印象が強いでしょう。実写映画版では、死刑を精神鑑定によって免れた極悪人として描かれ、ドラマ版では警察官でもある父の命を脅かす立てこもり犯のポジションに位置しています。

しかし、原作でのシブタクは実は少し強引なだけのナンパ師という取るに足らない存在で、決定的に違うのは本当に殺す必要性がない男であったという点でした。

アニメ版ではノートによる死を「正義の鉄槌」という解釈に割り切ることができてます。殺人の罪悪感を背負うという意味ではドラマ版が深掘りしていましたし、むしろ月を世俗に染まっていた若者にすることで、感情を吐露する姿にフォーカスしていた作品であったとも言えます。役を担当された窪田正孝さん頼みと言ってしまえば元も子もないですが

しかし、実は原作での月も自分が殺してしまったという事実に打たれ、ショックで数日間寝込んでいるほど重く受け止めているのでした。

物語の中盤期にあたる社会的にキラの存在が認められた以降でも、裁きの対象は重罪人であるべきとするのが月のポリシーでしたし、捜査の目や疑いがかけられていない平時であれば絶対曲げることはありませんでした。ネットの掲示板に人の顔と死を願う書き込みが溢れてそれが叶えられる世界なんて誰も想像したくないですし、本来の月もそういう人間だからです。

反対に、成り行きとして第二のキラの座に就いていたミサは身内を大切にしても、赤の他人の人命を軽んじる部分があり、第二の手足として相応しいと見込んだ検事の魅上ですら、過去の行いまで粛清の対象として見なしていた。遅かれ早かれ月の信じようとしたキラの正義は、サクラTVなどの歪んだ人間たちのエゴに利用されつつある流れだったと思います。作中の人物はキラを崇拝したり危険視しているのであって、優等生の月の素顔や本心に迫ろうというような、誰の興味の対象にも含まれていませんでした。ありのままの月本人を理解しようとしたり、見てくれる相手がいなかったのが、彼を壊した一因なのかもしれません。

記憶喪失時の好青年ぶりの正体

劇中のノートの記憶を持たなければキラの思想に賛同しない時点で、キラとしての初期の変貌は自己正当化として描かれていたというのは、月の原点の再確認だったと思います。殺しの当事者意識があったからこそ歪んでしまっていたのであって、どこかの誰かが同じようなことをしても、月は殺しによる犯罪の抑止については否定したでしょう。

物語にあったように殺しを正当化させるキラを否定されることは、月の存在意義を揺るがす相手として攻撃的になっていたわけですね。
結果として「幼稚で負けず嫌い」と評されるほど、月の壊れてしまった人格による弱点を突かれて追い詰められるわけですが、月の最終的なダークサイドである障害をすべて抹殺する「キラ像」が形成されていく過程には、ある意味ではLとの共同作業にもなっていたかと思います。

しかし、同時にLとの出会いによって中高生特有の世の中に退屈するという閉塞感から抜け出しています。世の中を良くしようとする志、正義感を持ってる若者として情熱を燃やせる環境。月の変貌ぶりそのものは語られていますが、自分に並び立つ知性を持った尊敬できる相手に出会ったこと、共に戦うべき悪という志を貫く目標があったことも大きいのは、もっと着目されていい部分でしょう。最終的にLも似た想いを感じていた相手だからこそ、友達として認められていたわけですね。

他人に対して嘘をついてもそれが真実に映るという秀才の孤独。
記憶が戻った月の場合、キラという仮面をもって世の中を変えるという正義を民衆は信じ、それを貫いて生きていく必要が月にはあるわけです。嘘による孤独や生きづらさを抱えてる者であることをLは見抜いていたこともあり、キラであるかどうかは別として、一人の友人として月の行く先を気にかけていたことは確かだと思います。アニメ版では月との別れを惜しむように彼に語り掛けたのでしょう。

「生まれてから一度でも本当のことを言ったことがあるのですか?」

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