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生成AIとどう向き合うべきかについての最近の感慨

2024年3月にGPT4が登場して、よりAIによる生成技術の向上を示しており、性能の向上速度としてもGeminnoや他のツールよりもChatGPTの勢いは凄まじいです。

PDF文書も読み取ることができるようになって、文章生成AIの出力先が文章に限らず、DALL-E3機能によって画像も出力してくれる。さらに、プログラミングコードを活用して画像の上に文字を張り付けたモノすら生み出し、広告などあらゆる用途に適応されたレベルに至りました。

とっくにAIによるシンギュラリティ到達とされた2045年どころか目前に迫っており、手に余るものとしての片鱗を覗かせつつあるというか、既についていけなくなっているという「スマホ普及のさらに先にある二極化」がどこまで進むのかやら、いろいろ考えてしまうので、今回はAI的な向き合い方についてまとめてみました。作品語りもしたいけど、研究材料やら追及すると時間かかるのでそこは申し訳ない気分転換回なんだ。

そもそも画像生成AIとは何なのか?

例えば画像生成とは「文章や画像から新しいオリジナルの画像を抽出するAI」であります。

例として、侍(Samurai)といった言葉をリアリティを追求した他の構成要素であるプロンプトと一緒に打ち込むと、

あらかじめ考えたプロンプトの出力が求められますが、こういったように迅速に生成される作品は、実際にある写真を編集で加工していると言われたら信じてしまうようなモノを生み出すことができます。

フリーランスで経験ある人ならだれもが通る道かもしれませんが、一本の動画の広告収益でも100万円に到達するのであれば、数万円単価の仕事としてライターや編集者に渡しても、依頼主の懐に無茶苦茶残るのに、自分にはクオリティに応じて膨大なコストをかけることになるので、採算が合う仕事とマッチングすることが難しくなりました。

しかし、生成AIの発展によって自分が送った文章や画像を出力し、ここから画像生成AIの作品を動画生成することも可能となっております。いずれもディープラーニングという「データを寄せ集めて新たに生み出す」という工程によるもので、つまり動画編集のツールを持たない人でも、自分の手で「新たに出力されるものが自分だけの手元に残る」ようになり、個人の出力される幅が広がったわけです。

ブログやSNSに投稿する文章や、Youtube台本など様々な用途に適応できる存在となりました。例えば、GEN-2は文章や画像を入力して動画を作るタイプで、特にVrewというテキストを入力することで生成した動画は、皆さんが手元にあるYoutubeやtiktokの中にあるショート動画の中で満ち溢れております。

慣れてきたらYoutubeなどの動画で「このくだりはAIだな」って分かりますが、あくまでそれは効率性を求めたからこそ判別できるのに過ぎないため、本腰を入れた編集を重ねられたものが世に満ちるようになると、価格崩壊ではありませんが、普及したテンプレート止まりの一枚絵や動画のクオリティでは相手にされなくなるかもしれません。

生成AIの発展によるイラストレーターの地位について

この流れの一方で、「AI絵師」というものが確立されて忌避されるようになったなど、対立を招いたことがありました。最初に結論から述べてしまうと、イラストレーターという職業自体が消え失せてしまうということはありません。AIの発達によってイラストを描くというサービスそのものが食われてしまうというのも確かです。ここにおいて大切なのは、イラストというものにどのような価値を見出していくかが、それを食い扶持にしている者の命運を左右するといっても過言ではありません。

おそらく、この原因は二次創作など「既に形作られているモノを模倣してファンのニーズを満たす」ということに、もともと地位や価値が確立されたこと。そして、この需要に対する生成の効率性がズルいやり口であるという意見がありますが、既に定められている一定の要素を挙げて、それに基づいただけの創造力をあまり必要としないイラストは、まさにAIが働き手としてもっとも効率的になったことで、食い扶持を奪われる存在として相対する立ち位置になったことが大きいです。

前述したように、結局のところ何を出力するのかは人間次第ですので、学習に用いられるなどについて規制が求められるのは無論、そういったモラルとどう向き合えるかが、各々の人間としての真価が問われるのでしょう。基本的にイラストレーターというものは、どうしても一枚絵に価値を見出されてきたのがこれまでの在り方でした。

PixivなどWebサイトに掲載できるもので評価を受けるためには、それが最も手っ取り早いというのがありますが、大量生産が求められる一枚絵は、AIの領分と言っても過言ではなくなっています。そして、仕事としてイラストレーターが関わる以上、依頼主とのコミュニケーションや納期を考慮しなければならないなど、AIと比較して煩わしさが上回ってしまうのも、大きな要因と成ってしまうでしょう。

いわゆるこれはオリジナル的な作家性という、自分の存在を認知してもらうための動機付けとして、自分自身の作品がよりジャンルや観念に囚われずに、クリエイティブな世界観を築いていくこと。「人間という表現する生き物」だからこそAIが今通っている模倣者としての近道ができなくなりつつあるということを意味してるのかもしれません。

Detroit: Become Human™

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