社会 解説 雑記

現代の民主主義社会と選挙の価値観の逆行

民主主義社会を打ち立てたギリシャの歴史について

ギリシャの七賢人の一人として数えられるソロンがいます。彼は貴族と平民のいずれかの側に立つことなく、民主政が正しく運用されるために尽力した人物ですが、人気取りの政治よりも実を取ることから敵も多く、アテネを去ってしまった為政者でした。

ソロンの出現により民主制の磁石は築かれたものの、彼の危惧した通りに僭主政治による「人間の都合」に国が左右される事態は、現代でも当て嵌まることでもあります。

元来、議会政治とは国王の意思決定の抑止のために産まれたもので、人間の善心、良心に基づいた国家運営が根付くことを目指したものです。しかし、かつての王政や宗教のような絶対的な価値観が築かれていた時代から移り変わり、その頂点に人間が君臨するようになったことで、それらの抑止として足り得ていた民主主義もまた変容しました。

国民が選挙のような参政権によって投票して国家は成り立つという、国民一人一人から国家が成されるという古来の民主主義社会の唱えた政体でした。しかし古来と違い、社会は相対的な価値観によって動くこととなります。かつての王政や宗教のような絶対的な価値観が築かれていた時代から移り変わり、その頂点に人間が君臨するようになったことで、それらの抑止として足り得ていた民主主義もまた変容することとなってしまったのです。

選挙と権力の価値の変容

現代でも若者が選挙に行かないことは、自分たちの首を真綿で締めていると、海外では俳優などの多くの著名人が投票を呼びかけるCMがあります。しかし、現代の民主主義社会における国家の姿、例えば日本では国民が国家の一員であるという自覚よりも、何かしらの庇護を受けるための受け皿であり傘であるのが国家だという認識が非常に強いです。

これは個人レベルでの話でも同様で、学校や会社という組織に属していることに大きな価値を置き、その庇護を受けながら居場所を見出す生き方が美徳であるという。こういった意識が根付いている中でも、政府への関心が高まると意見をする声が強いです。さらには、失望感が勝って選挙へ行かなくなるという風潮も強まってしまっています。

過去の歴史をたどって元を正せば、我々が参加している組織も一人一人の構成員から成り立っているもので、国家もそれは変わりありません。「トップダウン型の組織運営」に慣れてしまっていると不本意ながら従っているという姿勢になりますが、本来なら構成員である自分たちを含めた組織全体に還元されていくための手段でしかありません。決して、上位層による権益の独占といったものは想定されていませんでした。

そもそも、民主主義=選挙というわけではなく、何かしらの民衆による革命やデモなども歴史上では取り上げられています。また、立憲君主制もまた民主主義であり、国民の声に応じて国家が姿を適応させて運用される社会形態が民主主義であり、手段はどうであれ、昔と比べて行動を起こす気概を持てないほどの無気力さが蔓延しているのが現実です。

選挙活動において為政者は何を重点に置いているか

私たち市民が選挙の投票をどう捉えているかと、為政者側の視点では全く異なっています。

仮にどれだけ規模の小さい候補であろうと何かしらの主張が支持を集めた場合、より大きな派閥がそれを取り込もうと、同じ主張を掲げるようになります。候補者の掲げる言葉は聞こえのいいだけの体裁という声もありますが、結局、彼ら自身は得票数を得るために「どんな主張によって支えられている層があるのか」という数字目的のために、それを自ら取り入れる必要があります。

仮にその果てに当選できたのであれば、為政者となった以上、そこに至るまでの過程から身勝手な振る舞いの制限に繋がり、国民の投票が彼らの土俵を左右するに足る「アピール」として意義があるということを、我々市民は獲得できていない視点です。

私たちはどの党の誰が当選するかということに目を向けています。どの情報メディアでも政党や個人の一騎打ちとして放映していることも原因ではあり、認知上ではアイドル投票と変わりありません。

この繰り返しの中で人気投票と同様の予測が建てられますが、政治を施行する者たちは周囲の動向を見ながら動いています。

何が今の時代にとってベターなのか

単純な話、今苦労している若者がやがて年を取って世代交代をし、もしも旧来の方針が取って代わられ、次の若者世代に重きを置いた政策が施行されたとき、不平不満が出ないなんてことは絶対にありません。

「自分たちの時が苦労したのだからそれを知るべき」という同調を迫ることも、否定しきれません。

今でさえ、政府に不満として出される不景気な世と釣り合わない政策ですが、それを嘆いている仲間同士で政府そのものを仮想敵にすることで憂さ晴らしをしている現状です。そういった老醜を晒さないように、何かしらの変化に対してアグレッシヴな姿勢を示すか否かは大きいでしょう。

ボランティアの寄付などでも集まってる金額と同じように、選挙の一票に価値を見出す意識改革は、学校教育でも必要であるのではないかと思います。税金然り、学び舎が教えるべきことの優先順位を受験に見出しているため、本当に抜け穴が抜け穴として黙認されるように成り立つ社会となりつつあり、そこには繁栄も永続もあり得ません。

自分たちが死ぬ時までなんとかなってればいいやという政治運用による国家も、今では国家の制御が効かない巨大企業や組織に振り回されつつある時代です。正しい見識による正しい道を採らなければ、多分死ぬまで安寧を貪ることはないと考え、世を渡り歩きたいですね。

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