解説

『ザ・ボーイズ』シーズン5終盤だから「ストームフロント」と「ソルジャーボーイ」について考えてみる

『The Boys』は、一見すると「もしスーパーヒーローが現実にいたら?」という作品だ。そして、物語を追うほど、この作品の中心にいるホームランダーを通して人はなぜ「神(ヒーロー)」を、あるいはその座を求めるのか?という命題が分かってくる。

その影響をもたらしたキッカケとして影にいるのが、シーズン2で暗躍したクララ・ヴォートもとい「ストームフロント」であり、本編では名前だけ語られているが、彼女の元々の夫でヴォート社創立者でもありコンパウンドVを生み出したフレデリック・ヴォートだ。

ホームランダーは本作の象徴ではあるが、彼を生み出した根源として存在している彼らについて考えてみる必要がある。シーズン5のフィナーレもそろそろ直前だしね。


フレデリック・ヴォートは「超人」を夢見ていたのか

作中でフレデリック・ヴォートは、ナチスドイツの科学者として描かれる。しかし彼は単なる狂信的ナチスというより、「人間の進化」を設計可能な存在として見ていた故に、極端な進化を施そうとした科学者だ。
つまり、彼が本当に作ろうとしていたのは「人類の上位種」である。

ゴドルキンもフレデリックの思想に魅了されたと言える

そして生み出されたコンパウンドVは単なる薬ではない。
それは能力の人工的改良と優生思想を満たし、ヒーローを兵器化させるなど、あらゆる価値を成立させる技術だった。
そしてそれが、神話的超人ではなく「管理可能な超人」としての振る舞いを求められたのは、おそらくフレデリック亡き後のヴォ―トの方針転換だ。
ここで重要なのは、フレデリックの思想を現代化したヴォ―ト社もまた、結局は時代が贈った「型取り機」に合わせるしかなかった装置に過ぎない。

ヴォートやホームランダーも敵わない。自然や生命より強大だ。
それは利益と損失、需要と供給、世界を優雅に行き交う通貨の流れだ。
我々は機械の歯車に過ぎず、それぞれ役割がある。
セブンを潰し、ウイルスを撒いても、ヒーローに代わり、別のものが台頭する。なぜなら、企業は成長するものだからだ。カネを稼いで、仕組みを動かすために使われる。
それが世界だ。

『The boys』シーズン5 3話 スタン・エドガー

『ザ・ボーイズ』は「超人の物語」ではない


この作品は、言われるまでもないと思うが超人(ヒーロー)をボロクソに否定している。
フレデリック・ヴォートの思想は神話と科学を融合させ、ヴォート社は表向きにはアメリカの大企業で、彼らはビジネスによって存続している。
だが、能力者そのものは「人間はなぜ上位存在を求めるのか」を描き、ヴォート社も次第に利益重視となって時代に適合し、ヒーローを神にしたかったのではなかった。「商品として消費される偶像」にしたかっただけ。しかし、大衆は、神の顕現を望んでしまう。

「お前が生まれ、本当に幸せだった。
ただ、母さんは、Vの投与に固執した。
いい人生が送れるってな、電話工事の稼ぎよりもだ。
世界を変えるため、ヒーローを育てようだとさ」
「それで同意したのね」
「アニーは神に選ばれた、と言い出すまでだ
問題はお前が、それを信じたこと。母さんも信じた

ただ俺は、ウソをつけず、家を出た」

『The boys』シーズン5 4話 アニーの父親

『ザ・ボーイズ』は「世界そのものが、強大なものを必要としてしまう物語」としてストームフロントは過去の思想へ飲まれ、ホームランダーは承認へ飲まれ、ヴォート社は市場へ飲まれた。
つまり超人になっても、人間の欠陥は消えるわけではない。
優生思想やアーリア人至上主義を被せようが、フレデリックやクララの思想である「力によって人類を進化させられる」という近代的傲慢そのものは「人間の問題は能力不足ではなく、精神の未成熟にある」とホームランダーの家族だったセブンと世界の崩壊を通して返答している。

だからホームランダーは能力自体は最強でも、彼にとって何の救いにもならない。大人になってV1を摂取し、能力を得た第1世代のソルジャー・ボーイは無論、結局のところ結末を考えてみればストームフロントもおそらく同様だ。

  • ホームランダーは愛に飢えるが故に否定する怪物になる
  • ソルジャーボーイは空虚な己に自己嫌悪しつつ暴力男になる
  • ストームフロントは過去(クララ、リバティ)から切り離され、孤独な狂信者になる
https://youtube.com/watch?v=pb-9hzumCVg%3Frel%3D0

ストームフロントは本当にホームランダーを愛していたのか

視聴者の多くは、ストームフロントを「ホームランダーを理解してやれた女性」として映る。
確かに彼女は母性や承認を与え、イデオロギー的にも過激だが、ホームランダーにとって、それはほとんど救済だった。
しかし、特に本音が最後まで完全には見えないキャラクターでもあるが一応、推測の立てられる部分はある。

当初は彼女を採用したスタン・エドガーの思惑もあるが、ゴドルキンの例を見るに本来はセブンを御するためにストームフロントは送り込まれている。

現代の価値観として学歴や容姿、金や所有で示す財産力、ブランド、なんならフォロワー数という「価値」を基準化し、数値化し続けてた社会に適応した形で『ザ・ボーイズ』はその延長線上に“スーパーヒーロー”を置いている。
だからこそ、ストームフロントはヴォート社傘下のヒーローながらも会社の方針に反対して見せて、大衆による崇拝やメディアによる偶像化、商業と政治の融合というのも理解した上で利用した。

やってることはヴォート社ではなくホームランダーを祭り上げることだったが

今のところ最大の問題は、彼女はホームランダー本人を愛していたのかという点である。
筆者自身はこれが微妙なところで、半分はYESで、半分はNOだと思う。

ストームフロントは人間社会をほとんど信用していないという意味では、シスター・セージに近しい。
彼女は数十年単位で時代を見てきた。
つまり、世界大戦とアメリカ、アメリカたらしめている資本主義、大衆扇動、宗教の助け、愛国主義やそこから生じる消費文化も全部を経験している。

だから彼女は、他人を根本的に流される群衆として見下している。
現代で彼女がSNSを使いこなしていたのも「人間は感情操作で簡単に煽動できる」と理解していたから。
そして彼女は、ホームランダーの弱さを言語化するし知りながらも、包み込むのではなく「誇大妄想」を強化した。
確かに彼女はホームランダーにとって「自分を肯定してくれた対等な存在」に近かったし、彼女はホームランダーの「孤独」にも強く共感していたのは確かだ。

だが、ストームフロントはホームランダーの中に自分たちの思想を完成させる存在として見ていた部分は否定できない。
すなわち、新人類の王や優生思想の象徴を見ていたのも、彼女はホームランダー個人より“神話”を愛していた節があり、ナチズム的な愛という「娘に向けていたような個人への愛」ではなく、理想や憧憬に近い存在への愛だからである。

何がストームフロントを最後に追いつめたのか

結局のところ、彼女が言葉で饒舌に語ることで、何を考えてたのか見えなくしている問題はある。
彼女のアイデンティティは優越思想や超人としての自己認識というおそらくフレデリックから学んで与えられたもの、そして“神話”のホームランダーとの新世界構想に支えられていた。

しかしシーズン2終盤で、四肢を失って顔を焼かれることで、その超越性が完全に崩壊する。
これは彼女にとって致命的だった。
ストームフロントは「強者である自分」を思想の根拠にしていたから損壊した時点で、彼女は自分自身の思想体系からも脱落してしまう。

さらにホームランダーは、彼女を愛していた部分は確かにある。
しかし、彼の愛は自己中心的で、肯定してくれて強さを共有でき、自分たちの神性を支えてくれる間は執着する。
が、ストームフロントが壊れた存在になった瞬間、彼は距離を取り始める。親父であるソルジャーボーイに彼女を愛してたとは口にしているが

ストームフロントは、初めて得た「同類との繋がり」を失い、自分が神へ導こうとしたホームランダー本人に置いてけぼりにされた時点で、死んだともいえる。

仮にあの報道だけで、彼女が肉体的に「生存していた」としても、作品テーマ的には「ストームフロント」は既に死んでいる。
彼女の本質は超越した存在を生み出したフレデリックの妻であり、老いない女神(リバティ―/ストームフロント)であり、美しいヒーローであり、アメリカを支配する存在として成立していた。
四肢を失い、孤立し、ホームランダーからも切り離された時点ですべて崩壊している。

ストームフロントはナチスを信仰していたものの、彼女はホームランダーに尽くしていた。が、ホームランダーが求めていた愛を半ば理解せず、彼女が与えたのは最後まで神話だった。
そして、そのすれ違いが彼らの最後の会話となった。

人類を見下していた超越者が、最後には「愛されない不自由な存在」へ転落するという、極めて皮肉な終わり方だったとも言えるが。
もしかすると、最終エピソードで何か言及されるかもしれない。


クララ・ヴォートという失われた人格

ストームフロントはかつてのフレデリック・ヴォ―トの妻であるクララ・ヴォートだった。妻であり、子を持った母であり、一人の女性。
だが、彼女は長い年月の中でヴォートのヒーローとして、戦時中のリバティ、現代のストームフロントと名前を変え、亡霊として変質させていく。

興味深いのは、作中でクララ本人がほとんど語られないことだ。

彼女は何を恐れ、娘を愛して死を見届け、なぜそこまで思想へ没入したのかも、そこは意図的に空白にされている。
しかし、その空白こそが『ザ・ボーイズ』は繰り返し「人は思想に飲まれると、自分自身を失う」ことを描いている核心である。
『ヴォ―ト・ライジング』はこれを描く物語なのだろう。


ソルジャーボーイは「失敗した父」だったのか

クララあるいはリバティ、ストームフロントとの関係も興味深いのが、ソルジャーボーイだ。

彼は「彼女の期待に応えられなかった」と口にするが、これは単なる恋愛の失敗ではないだろう。ストームフロントが求めていたのは強さや支配性を伴った神話性、新人類の象徴だった。

しかしソルジャーボーイは、確かに強かったが、所謂古風を気取った勘違い野郎だった。暴力的で自己中心的ではあるが、彼はどこか人間臭い。
神に酔うこともなかったし、言い換えればソルジャーボーイは「超人」でありながら、極めて人間だったのである。
彼は国家や理想のために動くというより「強い男として認められたい」という極めて個人的な欲求で生きている。

だからクララからすると、おそらく彼は失望対象になった出来事があるのだろう。
彼女は夢見ていた神話の誕生に対して、ソルジャーボーイは酒と女と名声に流される、旧時代的な憧憬されたつまらないマッチョ男の延長線だったから。

そしてこれは、後のホームランダーとの関係との対比にもなっている。
ホームランダーは愛されなかった子供であり、ホームランダーを単なる暴君として見ると、この作品の核心を見失う。
彼は確かに怪物だが同時に愛されたい、認められたい、身内から捨てられたくないという欲求の塊でもある。だから彼はセブンを家族と呼び、マデリン、ライアン、ストームフロント、ソルジャーボーイに執着する。

彼が欲しかったのは、世界征服ではなく本当は無償の愛であり「傍についてくれて愛されること」だ。しかし彼は、その方法を知らない。だから支配で代用して、他者の崇拝を愛と勘違いする。そして孤独になる。

『ザ・ボーイズ』の真髄は、ホームランダーを「特別な怪物」として描かない点だ。むしろ彼は我々の鏡でもあり、誤った道に踏み込んだヒーローの判例として描かれている。そして、ソルジャーボーイが息子である彼について、どう決着をつけるのか非常に楽しみである。

-解説

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