ドラマ 作品解説

『ザ・ボーイズ』シーズン5最終話直前に見え隠れする「何を描いてきた物語なのか」という視点

シーズン5は本当に失速したのか

『The Boys』の終盤に対して、批判的な声は確かに増えている。

「テンポが遅い」「話が進まない」「風刺に寄りすぎた」
「もっと能力バトルが見たかった」

確かに、これらの意見は決して的外れではない。
特にシーズン後半に入ってからの『ザ・ボーイズ』には配信ドラマ特有の間延びがあるのも事実だ。だが一方で、そもそもこの作品を「どういうドラマとして見ているか」で、見え方が大きく変わる作品でもある。

もし『ザ・ボーイズ』を「激突する過激なアンチヒーロー作品」として見ているなら、終盤に不満が出るのは自然だろう。
しかしこのシリーズは、最初から一貫して「人としての存在意義」や「アイデンティティ」についての物語だったことは描かれていると筆者は思う。

描いているのは「能力者の能力そのもの」ではなく、承認欲求からの支配、怒りと愛情欠如による被害者意識と復讐心、他者の破壊の末に「自分は何者なのか」が分からないという、極めて内面的なテーマだ。
つまり『ザ・ボーイズ』は、ヒーロー作品の皮を被った「人格崩壊ドラマ」なのである。


ホームランダーは「トランプ風刺」だけではない

最大の敵であるホームランダーは、しばしばトランプのメタファーとして語られる。ストームフロントの影響もあるが、支持者扇動。被害者意識、群衆依存、そうして誇張する万能感。
「自分は可哀想なヤツだからこうする権利がある」というナルシシズムも、確かにその側面は存在する。が、それはホームランダーに限った話ではないし、彼を単なる政治風刺として読むと、この作品の核を見失う。

彼の本質は「世界最強なのに『自分が存在していい理由』を知らない男」だ。
ホームランダーは愛された経験がない、友という対等な関係を知らない、故に他者を信頼できない。
自己価値を外部評価でしか測れないという、極端に肥大化した空虚の人格として描かれている。

だから彼は、ずっと「神」になろうとしている。
それは支配欲というより「自分には価値がある」と証明したいからだ。つまりホームランダーの物語とは、アメリカ支配や世界征服そのものではない。
「自己を持てなかった怪物が、最後に何を掴むのか」という物語なのだ。

だから最終的に重要なのは、彼が勝つか負けるかではない。
愛を理解できるのか、あるいは孤独を受け入れられるのか。
支配に逃げ続けるのか、あるいは「人間になれない」と悟るのか。

そこに、このキャラクターの終着点がある。
決して派手に触手で引き裂かれたり、レーザーで焼き尽くされたり、ガスやウイルスの感染やら爆死する事そのものではないのだ。

『ザ・ボーイズ』は「怪物を倒す話」ではない

このシリーズを単純な勧善懲悪にしなかった最大の理由は、敵だけでなく、主人公側もまた壊れているからだ。
特に主人公に近いビリー・ブッチャーは象徴的で、彼は長い間「復讐者」として描かれてきた。

しかし実際には「怪物を倒すためなら、自分も怪物になっていい」という思想に飲まれている人物で、ブッチャー自身が長年ベッカを奪われた、ヴォートに人生を壊されたことを糧に生きてきた。

だが、先週のシーズン5の最新話にて、シナプスに捕まった後に過去の戦友ケスラーの姿を通してヒューイに語った「カナリアの死骸を積み上げてきた」というイメージは、非常に重要だった。

あれは「自分は被害者だ」と思っていた男が、いつの間にか加害者そのものになっていたと証人から暴露される瞬間だったからである。

実際、彼はこのシリーズずっと「自分は何人の人間を犠牲にしてでも、目的を果たす価値があると思っているのか」を問われ続けている。
そしてブッチャーが危ういのは、このシーズンでライアンにまで「犠牲」とその理屈を継承させようとしている点だ。
「一緒に犠牲になる」という発想は、かつての彼が守ろうとしていた、ライアンという愛した妻ベッカが守ろうとしたものを、自分の復讐の中へ取り込もうとしている。なぜならライアンは、ホームランダーにもなり得る存在だから、世界にとっても消えた方が良いからだと。

かつて時効性Vをヒューイと共に打って、その副作用を知ったり弟の死と向き合ってヒューイと重ね合わせたことで、彼を復讐から遠ざけることができたブッチャーは今と正反対だ。そして、あの瞬間だけは「カナリアを守ることができた初めての選択」だったということだ。

そうして単なる幻覚ではなく、ブッチャーが自分の中で育て続けた「暴力の人格化」がケスラーであるなら、彼の姿から自分の本性を暴かれたことで、彼が何を想って最終話に突入するのか。

彼は他人を切り捨てた犠牲を計算に入れ「必要な悪」を自称する存在になってしまっていた。つまりホームランダーとは別方向で「目的のために人間性を削り落としていく怪物」と化している。

そして終盤で、その「自己正当化」が剥がされ始めている。
つまりブッチャーの最終テーマとは「怪物を倒すために世界を壊す怪物となって派手にくたばるか」それとも「壊れていても人間側に踏みとどまって何かを為すのか」なのである。


ヒューイたちは「人間であること」を選ぼうとしている

その対比として描かれているのが『ザ・ボーイズ』の他のメンバーであるヒューイ・キャンベルやスターライト、フレンチーとキミコ、MMだ。

終盤でヒューイが語った「人生は起こることが1割、それへの対応が9割」という、起こった出来事に対応するしかないというのは、実はシリーズ全体へのアンチテーゼになっている。
なぜなら『ザ・ボーイズ』の人物は起こった出来事に対して「世界が悪い、過去が悪い、他人が悪い、権力が悪い」という外部を理由に、自分の怪物性を正当化しているからだ。

ホームランダーもブッチャーも、ある意味では人類に対する嫌悪から世界大戦を目論んだセージですらも、そうだった。
しかしヒューイは「壊れた世界でも、自分の在り方まで壊される必要はあるのか」を模索している。
だから彼にとってはブッチャーたちのような「勝利」そのものではなく、人間性を維持できるか、他人を道具化しないか、苦しみを免罪符にしていないかを試されている戦いでもあるのだ。

MMとフレンチーが第7話で“原点回帰”している理由

最新話である第7話『フランスの男、ある女、マザーズ・ミルクと呼ばれる男』で印象的なのが、タイトルの通り、MMとフレンチ―だ。

MMはシリーズでも常識人としてリーダーであるブッチャーに軽いブレーキを掛ける役だったが、今シーズンでは二人が同調をしていく一方で、ヒューイからも内心思うところがあったほどの変貌を遂げていた。

「おかしくなった世界に追いついただけだ」という反論など、家族を失ったと思っているMMは過激になっていく。
だが、ついにマザーズ・ミルク(Mother's Milk)という名の由来を初めて明かし、保護や人助けをして「他者を見捨てないことを誇り」にしていたことをスターライトに語り、そこへ回帰していく。

これは単なる善行ではない
人生をメタクソにされ、ヤケクソになりつつあったMMが、過去の自分がソルジャーボーイのせいで祖父を失った後も、懸命に傷ついたハトを保護してたことを思い出し「自分は何者でありたいのか」を選び直しているのだ。

かつてセブンに憧れて現実に挫折してたアニーも、父親と向き合って自分の今の在り方に自信を取り戻し、ヒューイを「地味だけど一番強い人」と評価もできた。
そんな彼女でもホームランダーに平伏していくアメリカ市民たちについて、助ける意味があるのか?という問いに、
MMは上記の思い出話を語って返答する。

斜に構えて無関心でいることは楽だ。
誰もが無関心な世界で誰かに気を掛けるのは、簡単じゃない。
地獄のようにキツい。
それが本来の俺で本当の君でもある。

『フランスの男、ある女、マザーズ・ミルクと呼ばれる男』MM

二人は希望を抱き続けることに向かって、ちゃんと前に進めているのだ。

一方、フレンチーもまた罪悪感や薬物依存からの自己破壊から抜け出し、「愛とは相手を思い通りにしようとしたり所有ではなく、相手のために自分を差し出せること」へ『ザ・ボーイズ』を通して近づいていく。

だから彼がセージに「愛」の価値を説き、キミコを救うために犠牲を買って出る流れは「知性や合理性、支配や欲望だけでは、人間の空虚は埋まらない」からこそ「愛」が求められるというシリーズ全体への返答なのである。


『ザ・ボーイズ』が最後に描こうとしているもの

だから、この作品の最終局面は「誰が勝つか」「派手にくたばるか」ではない。むしろ「自己の空白や苦しみを理由に、どこまで他人を犠牲にしていいと思うのか」という問いへ収束している。

ホームランダーは“支配”で空虚を埋めようとした。
ブッチャーは“復讐”で人生を正当化しようとした。

『ザ・ボーイズ』の中でもヒューイたちは不完全でも人間らしくあろうとする方向へ進もうとしている。
キミコは危ういが、彼女もフレンチーのことを想っているのであればどこかで歯止めが効くとは思うが、そこはブッチャー次第と言える。

つまり『ザ・ボーイズ』の目指す終着点とは「力を持った人間同士の戦い」ではなく「空虚を抱えた人間が、何によって自分を定義するのか」という物語だ。
ただし実際、私自身も6話のV1投与の引き方からしてボーイズの誰かが逃げている場面から7話はスタートするのじゃないかと思ったし、その期待の落差も第7話の評価に影響したとは思う。

ただ、最終回直前の今、改めて考えたい。
この作品はつまらない心理劇や必要ないやり取りによって本当に失速しているのか。もしかすると、私たちが、途中から誰かが派手に退場する繰り返しを期待してばかりの「ヒーローバトル作品」として見始めてしまっているのではないか。

ディープ君は部屋の隅で埃だけ食ってかろうじて生きろ

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