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ミステリオが残した呪い——ホーム三部作を締め括る「人は信じたいものを信じる」世界で、MCU版スパイダーマンが選んだ代償について

MCU版スパイダーマンの『ホームシリーズ三部作』のうち二作目として転換点にあたる『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』
2008年公開『アイアンマン』から始まったインフィニティサーガを締め括る『アベンジャーズ エンドゲーム』後日談にあたるのが本作でもある。

が、そこに姿を現したミステリオという英雄像、そしてクエンティン・ベックというキャラクターは単なるヴィランとして処理するには難しい存在になっている。

もともと本作はファンの間では『アイアンマンを継いだスパイダーマン』的ないわゆるピーターの成長譚として語られがちだ。
が、個人的には次回作『ノーウェイ・ホーム』を視野に含めると、やはりホームシリーズのテーマの中心軸には「ミステリオの影」があるということに着目してしまうので、今回は筆を取った次第だ。

彼の語る「人は信じたいものを信じる」という言葉は、只の皮肉でも負け惜しみでもない。あれは現代の世界の前提そのものを言語化したものだ。
そしてピーターもある意味ではそれに屈してストレンジの魔術を頼ろうとし、次回作『ノーウェイ・ホーム』にあの事態を引き起こしてしまった。

本記事ではミステリオの思想と行動原理、その帰結。
そしてピーターの選択を通してテーマである「現実と認識の関係」がどのように描かれているのかを整理し、いかに次回作『ノーウェイ・ホーム』に託されたのか整理して語っていく。

トニー・スタークとクエンティン・ベックの対比

B.A.R.F(ホログラム技術)は、元々はトニーがトラウマ治療(セラピー)のために設計したものとして発表した。

トニーにとっては「己の現実を補助するための幻覚」だった。
だが設計者であるクエンティン・ベックの構想としては彼曰く「世界を変える技術」であり、現実を上書きするためのイリュージョンに応用できる発明だった。

トニー・スタークは『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』と『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の時点で、自分の技術が人を壊す危険性を痛感している。
だからこそ「制御できない個人に、強力な技術を持たせること」を極端に嫌う。

一生のトラウマとして引きずるレベルの模様

劇中でもクエンティン・ベックは「人々は真実ではなく、信じたいものを信じる」「ヒーローを作ればいい」と語る。
つまり彼は最初から世界を変える術として「人間の認知を操作して支配する発想」を持っている

トニー自身もかつては武器で世界をコントロール(兵器産業)しようとし、ウルトロン計画で「平和のための支配」を選ばざるを得ないという意志を持っていた。

だが、結果的に失敗している。
つまりトニーは「世界をコントロールしたい」という発想の危険性を「実体験」で理解している側である。
「精神的に不安定として異常だ」とクビにしたというのも正確には「倫理的制御が効かない状態」でベックは危ういということをトニーは見抜いてた。

ただ、トニーはベックを切り捨てただけでいつもの如く適切なフォローや監視はしていない。
結果として、強い技術に強い怨恨を持った「在野のヴィラン」を生み出して野放しにした。
そしてそのツケを払うのが、後継者ピーター・パーカーになる。

トニー・スタークへの歪んだ対抗意識

トニー・スタークとの対比も重要で、
トニーは現実の行動(アイアンマン)でヒーローになった男であり、自らの失敗と責任を引き受け続けた結果、評価された。

一方、ベックは行動ではなく演出でヒーローになろうとする。
責任は取らないが、評価だけは欲しい。
つまり彼の欲求は「結果を伴わずに、トニーと同じ意味を手に入れたい」ことにある。
他人に認められないと自分が成立しない。
しかしその「他人の評価」は信用していないし、なんなら見下している。
ならば、操作すればいいという結論に至ったのだ。

そうして、スターク社に解雇されて評価を受けられなかった才能ある人間たちや指パッチンによる「消失の5年間」で居場所を失った者たちを率いた。
自分たちはヒーローではないが、人々の中ではヒーローとして記憶されるという野心の下で。

価値を生み出すことを諦めた人間たちが「価値があるように見せる技術」に全振りした存在として、ミステリオ(造られたヒーロー)は生まれた。

物事の価値は事実ではなく、信じられるかどうかで決まる。
だから他者の認識を操作することで「アベンジャーズ解散後の世界を引っ張るミステリオ神話という物語」に変換するために。

ミステリオの勝利条件は「現実に自分の手で書き換えた世界」をもたらすこと

トニー・スタークに対する復讐は、本来なら本人に向かうはずだった。
だが、彼はもういない。
だからトニーが唯一迷わなかったとされる後継者のピーター・パーカーと、遺産である EDITH(衛星兵器システム)を狙う。

そして、ピーターにミスを犯させて彼を潰すことは「スタークの意思は間違っていた」と世界に証明する行為となる。

そこからピーターに計画がバレたことで、
更に彼はスパイダーマンというヒーローを破壊し、ピーターという個も破壊することを企んだ。
つまり、ヒーローと人間の両方を同時に潰す行為によって、彼の目的は果たされる。
そのためにピーターの正体を暴き、彼を悪役として仕立て上げる。

どこの世界でもお元気そうで

これは殺すよりも価値がある、社会的存在の抹消。
普通のヴィランなら自分が生きて勝つことを目指す。
しかしベックは違う。
自分が死んでもその代わりに「ミステリオの物語」が残れば勝ち。
これはある意味で、現実そのものではなく「認識」を支配する思想。
その対象としてピーターを狙うことでベックはトニー・スタークそのものを否定して勝利を目指した。

「人は信じたいものを信じる」

これは心理学的基本原理で、いわゆる確証バイアスのことを指し。

不安なときこそ、安心できる物語を信じる。
複雑な現実では、シンプルな善悪に置き換える。

ベックはこれを理解した上で「信じたくなる物事」を供給する。

彼がやったのはその基本原理に則ってドローンで「フェイクを生成」し、チームによって編集や演出、情報拡散を担わせる。
そうして、ミステリオという「信頼される語り手」に人々を集わせる。

次のスタークってトニーの言い方も悪い

これを現代に置き換えるとほぼそのままSNSや動画プラットフォーム、
そうして人が推すインフルエンサーやまとめサイトの所謂バズるストーリー構造と同じになっている。

テクノロジーによって「現実らしさ」を演出できる時代への批評でもあり、この映画が厳しく描いているのは、嘘だと分かっていてあえて流す「語り手」の存在や、それに傾倒した結果として物語を意図的に設計して「人の認識をコントロール」されること。

ピーターは善意で動く人間なので、自己顕示のために人を犠牲にしたり、現実を捻じ曲げることを目的化することが頭にない。
この発想そのものが理解の外にあるからだ。
だからベック曰く「優しすぎる」

「何のためにこんなことを?(ここまで現実を歪めて人を傷つけるのか)」
つまり動機や正当性として意味はあるのか。
それに対するベックの返答は「人は信じたいものを求めてる」と言う。
人は事実じゃなく、どう信じるかで決めたがるということ。
現実で負けても、認識で勝てばそれでいい。

ベックの最期の言葉は「自分はもう勝っているし、人の信じたい物語が現実を決める」という、ヒーローに縋ってばかりの自分たちの世界への痛烈な皮肉と確信があった。

人は事実を精査しないし、感情や欲望に合う物語を選ぶ。
だから、現実は簡単に上書きされる。
そうして“魅力的な物語”の方が勝つヒーロー(ミステリオ)神話の世界で、君はどう生きられるか?
ということをピーターに遠回しに投げかけて息を引き取った。

この映画はその前提に対して、ピーターがどう抗うかを次回作『ノーウェイ・ホーム』で託している。
が、その道程は映画を鑑賞した方には御存じの通り過酷で険しいものとなり、ある意味ではピーターはミステリオの最期の罠に堕ちてしまったと言えるのだ。

見てない方は旧スパイダーマンシリーズとMCUシリーズを見た上で見ろってキャップが授業で言ってた()

ミステリオと同じ土俵に一度乗るピーター・パーカー

初見の衝撃を大切にしてほしいのと、
ネタバレにしたくないからあまり語らないので端的に語る。

ホーム三部作を締めくくる
『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』でピーター・パーカーがやろうとしたのは「現実の修正」ではなく「社会的認識を自分に都合のいいリセット」すること。

ピーターは自分と周囲(MJやネッド)が苦しんでいる。
それを元に戻したいという。
これは自然な発想ではあるが
自分の行動(正体暴露)による結果を引き受ける方向ではない。
合理的に考えるなら、本来の最適解としては

正体バレを受け入れ、
弁護士マット・マードックに頼って法的・社会的対応で処理する

つまりドクター・ストレンジの力に頼らないこと。

しかし、彼はストレンジが明確に警告しているにも関わらず、呪文中に条件を何度も変更するなどで「現実改変」に手を伸ばしてしまった。
少年のピーターは力のスケールに対して責任のスケールが追いついていない状態だったのだ。

  • 正体バレという現実
  • それを魔術で「なかったこと」にする試み

これはミステリオと同じ現実を都合よく書き換える行為
「認識が現実を規定する」構造自体は肯定した上で、
ミステリオと同じことをやろうとしてしまう。

そして初めて「選択の重さ」という
力の責任を一人で引き受けることになる。

最終的に何が両者を分けたのか


最終的に「現実を操作する側」から「現実を受け入れる側」に転換。
ピーター・パーカーとクエンティン・ベックの決定的な違いはベックの支配や承認欲求が目的があったのならば、ピーターは他者(MJやネッド、現れた他次元のヴィラン達)を助け、守りたいという意志を貫いたことにある。

ミステリオは他人を踏み台にして自分の物語を作った。
一方でピーターは他人を救おうとし、最終的に自分の不利益を受け入れることになる。

つまり「現実に干渉する行為」でも、引き受け方が真逆となっている。
これは現実を書き換えて「楽になる道」を捨てて、
責任を引き受けること。
そして、その決断には、先達者たちの「選択」と「責任」を知ったからこそだった。

まだ見ていない方は、MCUシリーズを乗り越えた上で
どうか彼の選択を見届けて欲しい。

そして共にピーターの新たな門出である
今夏公開『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』に備えよう。

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