———よう、首輪付き。オールドキングだ。
———クレイドル03を襲撃する。付き合わないか
人を殺すことを神は禁じた。
神は殺人を犯す者、犯そうとする者、教えを冒涜する者を裁くという。
すなわち、異教徒がそれだ。
だが、神にとって取るに足らない異教徒共は、何故今日まで蔓延って、信仰者以上に繁栄できたのか?
「それは、人が強いからだ」
師はそう言った。
だとすれば、神は人の強さに敗れたのか?
「人は神を殺すことが出来る。だからこそ自らの創造を絶やすことはなかったのだ」
師はそう肯定した。
ならば、人間が次の神に成り得るのか。
人が人に手を下していいのか?
「人を殺すことは、他者が禁じているものだ。だが同時に、人を下す事が出来るのもまた他人だ」
師はそう否定した。
人間は神には成り得ないのか、と俺は納得した。
だが、疑問だ。
ならば、神は何処にいる?
そもそも、存在はどう定義されるのだ?
「神とは多種多様であり、千変万化。世界のどこにでも存在する。
教典の中、すなわち文の中にその存在を語る者がいれば、自身のすぐ隣にもいる。
我々の解くべき物事の数式の解にあれば、我々の紡いできた世界の糸の中にいる。
森羅万象、すべての事象、人に関係するモノの中の何処にでもいる。
つまり人の数だけ、神が存在するのだ」
それを聞いて俺は憤慨した。
力なき神が満ちた世界など、矛盾しているだろう……と。
では、どのように神は人を導き、どのように禁じるのだ。
「人間の道徳……すなわち真心、良心、善心、言い方は様々だがそこに働きかける」
それはいったい何だ?
それが人間を正しくさせる力なのか?
「否、それは弱さだ。故に、信仰者も異教徒も、良き人間であることを目指し、そうであろうとした結果、殺される」
———ORCAの連中、温すぎる。
師よ、俺は他の者とは違う。
神を信じようと努力し、学んではいる。
だが、この世界には疑えることがあまりにも多い。
信仰も教えも解るが、異教徒の事も理解できる。
それができるのは、俺は、考えることを止めてこなかったからだ。
だから、強い。
そうでありたい。
そうであれば、俺は殺されないで済むのか?
俺の神は、俺の良心に期待などしていない。
弱さ故に、殺されることなどはないだろう。
しかし、だからと言って、俺は人を殺してはならないのか?
何者も俺を殺さない保障などないはずだ。
「人が人を殺すのは、そこに意味の有無があるからだ。
私はお前より強いが、お前を殺しはしない。他の者も殺さない。
それは私という存在にとって、不変の理だ。
殺せないからではなく、禁じられているわけでもない。
そこに意味が存在しない限り、私は殺さないのだ」
意味———つまり、理由だな。
だが、俺にはこの世界でなら「人を殺す意味」も見出せそうな気がするんだ。
俺は、どうしたらいい?
「ならば、考え続けろ。この先、お前が神に近付き、それに適う人間なのか。
己の存在と殺人の意味を問い続けろ」
それが亡き師の最後の訓戒だった。
———革命など、結局は殺すしかないのさ。
———だろう?
俺は考え続けた。
他者への支配欲、権力。
争いの本質には、人間がより高等に、上位として君臨することにある。
それを奪い求め、その為に振るわれてきたのが今日までの殺人だ。
だが、力を得た者はそれに溺れ、他者を教え導くものは誰もいなかった。
結果、力を持つ者の怠惰によって、世界は乱れた。
此処まで世界は時間が経つにつれ、人は増えすぎて、在るべき姿形を見失っている。
数を減らし、世界を単純化し、本来の姿に近付けられる。
その点において、殺人は善と呼べないだろうか?
正しい殺人ならば、神はそれを赦すはずだ。
本質的に悪なのは間違いない。
だが、今の世界は利益やら理想やら矜持やらで神が増え過ぎた。
世界が複雑になりすぎてしまった。
「来たか、首輪付き」
サーダナよ、どうやら俺は神にはなれないようだな。
人として生まれた以上、俺は人だ。
だから、俺は最も力を持った人間となる。
神に等しい扱いを受けた存在———王となる。
気ままに殺戮が振るわれて人を鬻いだ力を持つ存在。
古き良き時代に君臨した王者の魂を、この身に宿そう。
「クレイドルを、すべて落とす」
「所詮大量殺人だ、刺激的にやろうぜ」