『機動戦士ガンダム 水星の魔女 Season2』終盤に向けて
本記事を書いている時点で水星の魔女は19話を迎えて物語も終盤に突入しており、学園ドラマに注視している物語の構成上、世界情勢が見えにくいという側面から、お話についていくのに画面に食らいつく必要性が出てましたね。
そういう事情から、水星の魔女という世界観について整理した記事をやるかやらないかで迷ったのが正直なところでした。
しかし、とりあえずもう一人の主人公であるミオリネを助けに行くというのを理解できていればいいことも示されてるので、変にまとめた記事を書くのも時期尚早かなと思ってます。
設定資料として明かされていない部分も多いので、安易な憶測語りをして考察を名乗るのは当方のスタイルでもないということで、主人公である「スレッタ・マーキュリーの物語の軌跡を辿ってみよう回」を今回はやります。スレッタ好きなのでやりたかっただけです、ハイ。
スレッタが抱える誰も気づかない「苦しみ」と「強さ」
不穏な戦争をやってたプロローグから一転し、人が生きるには厳しい環境の惑星という水星出身の転校生スレッタ・マーキュリーは乗機エアリアルと共に、さまざまなドラマに直面してきました。
最初の時点では不良に絡まれてた少女を助けるという学園モノの王道に出くわして、自分が憧れてきた少女漫画や母親の教え通り、進んで何かを得ようとしたのが第一話。マジの囚われのお姫様を助けるための学園トップの御曹司との決闘というイレギュラーもイレギュラーでしたが。
そこから圧倒的な強さを誇るエアリアルが呪われた機体ではないか怪しいとお偉方に睨まれ、いろんな事件や思惑に巻き込まれます。
忘れられがちでしたが、スレッタが本当に望んでいたのは、強者の証であるホルダーや花婿といった地位や名誉ではなく、皆が注目しているエアリアルとも関係ない「平凡な自分を受け入れてくれる居場所」
基本的にスレッタ自身は現実に対する適応性が高いというか、やりたいことリストの作成から、目標を立てて実行するという外の世界にも強かでいられる芯の強さを持っています。しかし同時に、自分自身の内面に深く耳を傾ける機会に恵まれていなかったため、誰かを自分の葛藤や事情に巻き込むまいと、感情を押し殺してしまう部分がありました。
スレッタが一人になるのは、誰にも明かせない且つ心の中で抱えきれない苦悩が溢れ出ている時で、それは内弁慶とも呼べる彼女の唯一の話し相手であるエアリアルには癒せない傷でした。
シャディク評である彼女は子供というのは、彼の意図してない部分ではあると思いますが、実際当てはまっています。自分の感情を吐露したり我儘を言えなくなっている内気な幼子でありながらも、周囲は同年代で水星出身の強いパイロットの女子生徒として扱ってしまうため、学園での関係性構築も一筋縄ではいかないものでした。
試験課題をパスして株式会社ガンダムを立てたことで地球寮のメンバーと一緒にいられるようになり、彼女にとっては新しい時間が始まったかのように見えたものの、本当に辛い時や弁当の時など些細な自己主張すらもできなかったのは、同じ年頃の相手にすら自分の感情やわがままを受け入れてもらえるということが思い描けないから。
また誰かに背中を押されることはあれど、スレッタ自身の意思を深掘りして一緒に答えを探したり、それに寄り添って待ってくれるような相手はほとんど誰もいませんでした。
そんな中でトイレに閉じこもって一番の理解者である母親に電話するという11話も、ミオリネが本心をぶつけてくれたことで「花婿」という居場所に向けた片道切符を切ってしまったのが、17話までに至る道程に繋がってしまいましたけどね。
母親であるプロスぺラも、娘たちが寂しい思いをしないようにスレッタとエアリアルに一緒の時間を過ごさせたことで、額面通りに言葉を受け取ってしまうなど、スレッタが家族に依存して自他の感情の機微に疎くなってしまうこと自体は不本意だったかと思われます。
しかし、いつか自分たちがスレッタを突き放す時に必要となる気質でもあるため、ミオリネから妄信的かつ洗脳と言われようが、未成熟な娘に自らの意思で復讐の旅路に付き合わせないように、あえて解決しようとするのは避けたのでしょう。
スレッタが生まれた当初の思惑はどうであれ、地球寮に挨拶に来て、友達が娘を傷付けるような人じゃないか確認を取っていたり、スレッタの4号にかけた言葉からして「誕生日は特別なもの」としてしっかり祝い続けてきたプロスぺラの親心も切ないですけどね。それはそれとしてデリングの娘は自分の旅路に付き合わせる
ただ、誰よりも相手の心に訴えかけて言葉を引き出し、対話ができるというのが、スレッタの本質的な強さであることも劇中で示されてました。
『一人で進もう』とする危うさと苦難
本作のテーマ的な要素なのか、この作品は言葉や行動を用いたコミュニケーションの形に対する各々のキャラクターの姿勢や受け取り方が描かれており、非常に重厚かつ丁寧な人間ドラマを展開しています。
対人コミュニケーションに不慣れなスレッタに限らず、もう一人の主人公であるミオリネもデリング総裁との親子関係や、シャディクの何とも言えない男女としての距離感など含め、それぞれの信念や考えに基づいて他者と接しているように描かれています。
特に顕著なのが「力ある者」が「持たざる者」を思い遣っているはずが、上手く伝わらずにすれ違ってしまう点(御三家の親子関係等)
デリングに非力であると断じられてきたミオリネは父親との関係改善の兆しを見つけるなど前に進めたものの、2期ではスレッタを守るために力を手に入れようとし、より大きな争いの渦に飲み込まれてしまいました。
これに関してはジェターク家というか紆余屈折を経たグエルも同様で、彼も外の世界を見て自分なりに成長しようとした結果、素直に心からの言葉を交わせなかった父親のヴィムを手にかけてしまったことに深い罪悪感を抱き、自分個人の欲しかったものに全て見切りをつけ、義務と責任に縛られて身動きが取れなくなってしまいました。
本音を晒せる相手もいない孤独な道を突き進むという意味では、皮肉にも父親の情を意に介さずに養子という出自からアーシアンの救済という大義を見つけたシャディクと同じ存在となっているため「互いの欲しいもの」を持ち合わせていた相手として、御三家の二人が激突するのは、彼らがはじめて腹を割るきっかけとなるかもしれませんが。
他にも、自分なりに考えに考えあぐねて内部告発したニカやマルタンなど、何かのために一人で決意して行動だけ突出し、それが良からぬ結果を招いて一人苦悩するのは『水星の魔女』の世界が抱えているテーマ。
その一方で、スレッタだけは相手の懐に飛び込みながらも、寄り添って相手の言葉を引き出すことに長けているのは、注目されるに値する主人公としての「差異」なのかなと思いました。
誰よりも不器用ながらも対話に向かって進めるガンダム主人公
スレッタが最初から得意分野であるパイロットとしての力を示せるはずの決闘をやりたくないと拒否し、自分の意思を示しているのに表舞台に引きずり込まれたのは、ミオリネという理由が与えられたからでした。
その渦中では降りかかる火の粉を払うというスタイルでしたが、それとは別にスレッタ自身でやりたいことを優先していたのが一期におけるロミジュリ枠だった4号君との絆。
スレッタが自らの意思を示しただけに留まらず、心の整理がつかない中でも態度を凶変させたエランに一人で会いに来たり、鬱陶しいと突き放されても相手の本意を受け止めようとするなど、思い返してみると特例でした。
というか、スレッタが誰に言われるまでもなく、拒絶されながらも自分の力だけで歩み寄れたということに後々気付かされるお話です。
4号は自分の境遇から死の恐怖に怯えながら、自分と同類であるはずだというスレッタに近づき、裏切られたと思い込んだ怒りもあって対立することになってしまいました。しかし、外の世界との関わりを断とうとしてきたはずの彼は、エアリアルの核心に迫ったこともあり、心を開いて笑顔を交わしてスレッタの存在を受け入れました。
気にかけてくれた相手に自分の存在を残したかったのか、消えてしまうことを明かさずに後日の待ち合わせでスレッタを待たせ続けるなど「一人寂しく死んでいった」という後の5号の口ぶりでしたが、4号は自分なりに未練を形に残そうとしてしまっています。
2期でもスレッタ自身の意思によって助けられ、アーシアンとしての出自を明かしてくれたニカもまた同様で、誰に言われるまでもなく自分から進むことで得た繋がりは彼女の中で埋もれてしまっても、相手の孤独を埋められるようになっていました。
なんの特別な力を持たないというオチでありつつ、そういう意味では不器用ながらも絆や対話を重んじるガンダム主人公らしい気質を誰よりも持っている、無茶苦茶好きなタイプの女性主人公だったという筆者の個人的感慨をどうかわかってほしいという話でした。
君よ、気高くあれ
『水星の魔女』におけるガンダムに乗るパイロットとは「選ばれなかった存在」であり、それはスレッタに限らず、5号やノレアも同様です。
自分たちが死なないため、生きるために必死な彼らが自分の居場所を見つけようと足掻いている物語なら、持たざる彼らがどのような答えに辿り着いてしまうのか。
安らぎの場所は果たしてあるのか?
『水星の魔女』の物語も既に佳境に入っており、親世代の思惑や争いを止めたり「ガンダムの呪い」というテーマも掲げられている中、スレッタは誰かを救ったり前に進ませるために自分を犠牲にしないかやら、彼女が誰かに助けを求めることができるのか等、非常に不安視しているのと同時に、彼女とエアリアルの物語の結末が非常に楽しみです。
どのようなラストであれ、心に刻まれる作品になりそうです。