前回の「優しさ」に関する記事でも、僕個人のことについてはあまり話さないというスタンスでしたが、書き進めていくうちに「何故こういった世界や政治社会に関する記事を上げているのか」だけは明かしておこうと思ったので、これから自己紹介も兼ねて書き記している次第です。
とりあえず前回の続きとして、世の中で優しいと呼ばれた人がなぜ孤独に苛まれて自殺を選んでしまうのか?
これをテーマに、中途半端かつ慣れない自分語り成分が増えるかと思いますが、お付き合い頂ける方がいらっしゃれば幸いです。
2020年7月突如起きた自殺報道
世の中のターニングポイントだった2年前のコロナ時代。
当時2020年、著名な俳優であった三浦春馬さんが突如自殺した報道が流れ、彼が直前で残していたツイートが推敲を重ねたであろう内容はすごい印象深かったです。
彼にはこういう苦しみがあったみたいな野次馬根性による語りをする気は一切ありません。しかし、なぜ国民全員が一致していく「国力」という言葉を使ったのかは、生きている我々が考えなければならない問い掛けだと思っているので、それを自分なりに形にしていきます。
三浦春馬氏の「戒め」と「呼び掛け」
彼の国民全員でポジティブな方向に導いていこうという言葉に繋げますが、前回の「優しさ」というテーマの記事の内容に書いたように、
人間自体は優しくないわけではないのです。
ただ、それが自分自身や特定の周囲に「優しさが遍在」するだけ。
見ず知らずの相手に損得勘定なしで分け与えられるほどリソースがない場面も珍しいことではありません。
むしろその程度のキャパシティを持つ我々が、気を付けなければならないことはなにか。
それは本心から好きでもない相手にわざわざ接近し、無自覚のうちに他者を利用したり、エゴや目的のための道具扱いしてしまうこと。
その自覚や間違いを正さなければ、やがてエスカレートしてふざけ半分であれば許されるだろうという他者への甘えから、無自覚な攻撃を躊躇しなくなります。
そして、それをまた離れた場所から見て見ぬフリをするという存在を生み出してしまいます。
「政治」の民意は日常で送受信している
政治に対する意見を発信すると批判したりスルーする風潮もありましたが、何故、政治が日常に当てはまらないようで深く関わっているのか元を正してしまうと、日常的に噂や揚げ足取りを繰り返し、一方的に袋叩きにした挙句、誰かを追放できるというストレス発散のサンドバックの味を人間は忌避しないからです。
本来そういった人としての醜態を無くし、政治家と市民でより良い社会にするというプラスの方向に働きかける共通意識が必要なのです。
ですが、やはり「優しさの偏在」がここにもありました。
自分たちが豊かで余裕さえあれば、憂さ晴らしの後はどうでもいいというのが本音。
ただの加害者に位置してしまうという過ちを、人間は無自覚に繰り返している。
それだけでは何も生み出せないという声がありました。
しかし、それでも自らの鬱憤を晴らすこと以上に価値を見出せない、自覚を持てない輩が、今度は自分に向けて攻撃的になるというのが現実でした。
何故「真に優しい人」が孤独を感じるのか
このように人間とは、どんな場面でも優しさに偏りを生じさせているエゴイスティックな動物です。
だからこそ、自らを善人だと信じて疑わないのではなく、善人でいられるように自らを律することが必要なのです。
我々はいつも、誰かの加害者になりかねないという自己への戒めと共に生きなくてはなりません。
おそらく彼はそういうことを念頭に置いていた本当に優しい方だったんだというのが、当時の僕の感慨でした。しかし、先述の通り、この呼び掛けに対する現実は全く優しくありませんでした。
何故社会や世界に声を発信するのか
当時荒れていた僕個人の主観もありますが、自分で感じて、考えてること。
それが人と違うことであれば、それを理解してもらうことに苦しんでいる人間はこの世界に大勢います。
それは人種や性差別とか外面に基づいた社会的な価値基準ではなく、内面的な差異による孤独を抱えてしまった普通に暮らしている人々です。
時に親しくしてるはずの相手から、アイツは変なことを言い出すという扱い、視点の違いから偉そうという指摘や、世間を斜めに見ているといった手厳しい声が向けられます。
それに直面してしまうと、自らに同志がいなければ、自分の存在を肯定し続けたり、この世界や生に価値を見出せなくなってしまう。
そして傍から見たら、人に囲われていることが幸せに映るかもしれないけど、むしろ人に囲われている時ほど、自分を押し殺す時間が増え、孤独に向き合う中でしんどくなります。
そもそも、ネット上で人と関わるSNSやコミュニケーションツールにおいても、起こしている行動は「対話」ではなくなっています。流行に乗っかったり大喜利に精を出すこと、私生活での愚痴を吐くことがネットにおける主な使用用途であり、それを近しいもので囲うことができる時代です。
人は見たいものを見て、聞きたいことを聞ける時代になっているのです。
他者を愛したり優しさを分け与えるということを真剣に受け止めているからこそ、より良い思考や行動に導きたいし願っている。
そういった全体に向けて真剣に考えられた「呼びかけ」はとても面倒で苦しいことです。
しかし、それこそが必要でありより価値があることであるのは間違いないです。
その気づきを大切にしたい自分もまた、より良い世界に向かうためにできることとして、ブログやSNSの発信を始めている次第です。
何かしらの参考や一考に繋がる内容となれれば幸いです。
ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。