小説

短編小説『ある兵士の一夜』

 カリブ海洋上にある海上プラントを舞台に開かれた国家間合同パーティー、その幕間にて催されたイベント。
 当パーティーは南北アメリカ大陸諸国による新たな経済共同体の成立を記念してのものだ。

 そして、その立役者であるアメリカ合衆国主催によって行われており、新たに可決された治安維持対策として国際調停部隊の編成、新兵器の採用、軍事情報の公開とともに参加国の親善も兼ねている。

 しかし、これは様々な意味で革新的な催しであった。
 まず、開催地からして画期的だ。
 こうした海上プラントにて政治屋の親睦会が開催されること自体、前例のない試みである。
 これまでのようなカタログ参照システムではなく、大陸のあちこちにいる外国を招き、彼らに向けて技術の開示などをしてみせる。
 さらには自国の軍人を招いたのをいいことにオリンピックの真似事までさせているのだ。

 いずれ編成される治安維持部隊もまた官民混成となっており、警察関係者や元軍人のみならず、民間軍事会社所属の雇われ兵や特定分野の専門家が推薦されるのも珍しくはないとのことだ。
 推挙も視野に入れた人事ということは、これから自分の命を預け合うに相応しいか否かの品定めは当然の措置だろう。
 だが、こういった会合を開くにはいささか不適切ではないか。
 そんなことを考えながら踵を返し、深い蒼色をしたフォーマルスーツに身を包んだアレン・フォスター大尉は懇親会場に連なる通路に歩みを進めていた。

 警備である軍属の者が銃を所持して出入口を見張っている関係者会場に足を踏み入れると、そこには、とっくに各国家の重鎮やそれに付き従う専属の通訳、関係者たちが既に集っていた。
 幾人もの初めて見る外国人の姿が見受けられる。自分もその一人だが、落ち着かない様子で周囲を見回してるのだ。

無理もない、と彼は独りごちる。

常日頃はおろか、戦場にその身を置いている時にも、その視線は俯瞰していることを己に律してはいるが、どうにも慣れないのと同様だ。

 結局の所、自分もまた兵士なのだ、と彼は考える。
 権謀術数、あるいは政治的な駆け引きといったものは勿論重要だとはわかっているが性には合わない。
 それではいつか足元を掬われることも重々承知の上だが、目の前に戦場があるのに明日のことを考えられるほど自分は器用な男ではない、と彼は自嘲する。
 実際、自国から参加の要請を受けている彼はむしろ従順に受託していた。
 だが、政治家のように期待された外交の才、あるいはパーティーに必要な社交性を発揮させることは仕事の範疇ではないと自分に言い聞かせる羽目になってしまっている。
 そんな居心地の悪さを自覚していた彼は壁の華を決め込もうと、真っ直ぐ会場の片隅にあるラウンジに向かうことにした。

 長いバーカウンターには既に二、三の客がついて酒をあおっている。
「いらっしゃいませ、お飲み物は何になされますか?」
 席に着くや否や酒を勧めてくる店主。
「水を――」
 メニューに目もくれず頼もうとして、カウンター越しにバーテンダーが、こちらに期待の眼差しを向けていることに気づいた。
 最高の酒をもてなすように言われているのか、さりげない動きの端々に気合がみなぎっている。
「あー、任せる」
「かしこまりました」
 そんなオーダーに気前のよさそうなマスターはそう応じるとグラスを用意する。
 その様子を見ていると、空席を挟んで二つ隣のカウンター席に座る男が突然、同じくカウンター席に座っているドレス姿の女性に向かって声を発した
「これ、なんだっけか……聴いたことあんだよ。あー、ド忘れしちまった。なあ、この曲知らないか?」

 会場内で微かにかかっているレコードに反応したらしかった。改めてよく聴けばそれは、特徴的な声楽に大袈裟なオーケストレーションによるもので「……カルミナ・ブラーナ?」と女はポツリと低く呟く。
「そう、それだ! カルミナ・ブラーナ!」
 すると、男は大袈裟に喜んでみせるばかりか、彼は女性の隣まで席を詰めている。
「いいねぇ、お嬢ちゃんよく知ってる。芸術の話ができるってのは嬉しいね。他のやつらは社交辞令に夢中で音楽なんか気にしちゃいない」
「こういうパーティーも珍しいし、革新性を示す良い機会なんじゃない?」
「確かになぁ、今まで以上に国家間でイニシアチブを取る必要がある。だがそうなると次は国家の庇護を受けて暮らす民衆の間では"社会正義、ひいては人類社会存続のため"と謳って平和をもたらす国際規模の軍隊の登場ってわけだぜ。まったく嫌な世の中になるねぇ」

 赤毛の長髪の顔の何割をか覆い隠すほど大きいサングラス、首に結んだ真っ赤なスカーフ、ブラックレザー風の上下。そして手や耳には銀色の装飾品が光る。一目でまともな常識を備えた人間ではないことが見て取れた。

 なるほど、この赤毛の男は見かけによらず音楽に造詣が深いらしい。そしてこの会場に招かれているということは、軍属を除いた可能性として考えられるのは海上プラント建設企業の関係者だろう。
 どのような繋がりかは定かではないが、どう見ても道楽者の類である。
 加えてやはり多少酔っているのだろうか、火照った顔のまま喋り続ける彼だったが口調はしっかりしていた。

「ああそうだ、俺はつくづく分かったんだ。今の世界は人に優しくない。どこの国も見れば一目で解るさ。人間は無気力を隠し、暮らしはキツイ、そのくせ政府やらの首脳は私腹を肥やしに走ってる連中がいる。どう見ても最悪ってヤツだ。こんなに世の中が荒れてたら音楽どころか、文化そのものも守られねえし生まれねえ。むしろ、最近じゃ妙な宗教に付け込まれて、この苦しい生活に耐えれば天国が待つと思っている人間が何千万人もいるって話だ。はっ! そいつらはただ、他にアテがねえからそこに縋っている。が、民衆が政府に頼るほど、お偉いさんは自分たちの政策が正しいんだと思いこむ。今まで通りにふんぞり返っていればいいんだと思ってやがる。何が民主主義だって思うね、結局は格差を広げるための方便に過ぎねえ」

「…………」

「生きるのも死ぬのも個人の裁量次第? ふざけんな。今の時代、自由だとかそんな古臭い綺麗事なんて通用しないんだ。飯が食えねえ、生活も出来ねえんだよ。国の持ってる資本が無けりゃ生きていけないのが実情なんだ。だから改革が必要なんだよ ……そう思うだろ軍人さんよ? 」

 男は急に振り返って絡んできたが、横目で見ていた彼は眉を顰める。
 赤毛の男の肩越しを見ると女の姿は消えていた。この男の相手が自分だけとなったことに気づいたアレンは 溜息交じりに口を開く。
「確かに一理あるが、酔い過ぎだ」
 彼の諌めるような言葉を聞くと赤毛の男は失笑する。
「いんや、あんたも思うところがあるはずだ! ご意見願いたいね。そりゃいつかは風向きが変わるだろうさ。だがどのくらい先の話だ? そういう事が出来る人材すら台頭させないのが今のお偉い連中なんだ。少なくとも、上で胡座をかいてる奴らを引きずりおろさなきゃな。だが、こんなテロやら争いごとに満ちた世界になっちまった以上、誰も気にしねぇだろうよ。もうダメだ」

「どうぞ、マティーニです」
 横からグラスを持ったマスターの手がそっと伸びる。透き通ったマティーニが甘い芳香を漂わせていた。
 カクテルは温くなると味が落ちると聞いていたので、早速、口をつけてグラスを空けようとする。
「……それで?」
 マティーニは世辞でもなく素直に美味いと思える上質さで、息をつきながらアレンは話の続きを促す。

「例えばだ、あんたがこうして英語を話せるアメリカ人であることに理由なんかない。生まれは選べないからな。そしてここにいるのも、あんたが『来い』という言葉に従ったからだ」
 彼の口調は軽薄な感じを帯びていたが、心中のほうは真面目そのものだった。 サングラス越しに観察するように彼を見ている。
「人死の他に何もねぇ、馬鹿げた火遊びに付き合わされてるってのに、命令とあらばやりますってか?」
「……馬鹿げているとは、横暴だな」
 決して声を荒げなかったが、そこには押し殺した凄みがこもっていた。

戦場に立ってきた者にとって、参加する作戦がどういった意思の下にあり、どういった性質を帯びているかなどといったことは二の次であった。
 何故なら、戦場というものは常に状況を選べないものであるからだ。 あらゆる想定外の事態に備えるためには、 ある種の達観という、余裕のある態度で臨むのが一番だ。だが彼は―――。
「勘違いするなよ、俺達は守るべき場所を守る、それだけだ。それに、戦禍を拡大することばかりが戦いではない」
 いつしか熱がこもった口調になって反論していた。しかし、赤毛の男は鼻を鳴らして笑った。
「それができるんなら世話ないんだけどなぁ。まあ、兵士が考えるような話じゃないか」

その言葉を聞くとアレンは苦虫を噛み潰したような表情をするも、それ以上は何も言わなかった。
「……死にたくない、というのも立派な理由だ。確かに迷っている暇などないとは思うがねぇ。苦労するだろうよ」
 他人の話をしっかり聞く分別は持ち合わせている相手だったからか、ここまで酔いに任せて高揚した語りだった赤毛の男は少し声の調子を落とし、グイッと酒を傾ける。

「……革命の為、とでも言えば、人を殺すことが許されるのか?」
「いんや、そこまで酔ってねぇよ。人は人として生きようとする限り、秩序と社会を必要としているはずだ。まさに現在進行形でな。そのために戦うことで他の命が守れてる、そこはあんたも誇っていいんじゃあないか」
 これまでのような決して小馬鹿にしたような物言いではなく、まるで政を引き継いだ若者を諭すような口調だった。

「ま、悪かったな。こんな愚痴に付き合わせちまって。からかってやるつもりだったが、話の通じる奴で案外楽しかったぜ」
「……俺は気分悪くなったがな。失礼する、夜風に当たりたい」

 成熟した、あるいは達観した視点を持つ彼は、弱者の守護という保守的な運用を自分自身に強要させてきた。

 それは軍人家系に生まれたゆえに習得した生き方であり、それをわざわざ自ら変えようなどと思ってこなかったのだ。

 たしかに以前、勇んで戦場に赴く兵士の一人に何故この仕事を選んだのかさり気なく尋ねた事がある。帰ってきた答えは平和やら家族という、清廉なものだった。だが、自分はそれをいつまで鵜呑みにできるのかという予感がアレンにはあった。

 命を金銭に換算するような物言いは慎めという家訓は己に刻まれている、それは同感だと心底そう思っている。だが、自分の命をどう考えるべきか?

 その価値や己の才能は? 生きる意味とはなんなのか。他人の命を奪ってこの先も陶然としていられるのか。
 それは、疑念として彼の中にはっきりと根付いていた。

 この些か不謹慎な発言のやり取りを聞いて唖然とする者もいれば、己の矜持を土足で踏みにじられていると感じて睨む者もいるだろう。

 だが、アレンは自身が思う以上に視野の広さと思慮深さを備えた人物だったからこそ、不遜な男を自ら口に出して咎めるようなことはなかったのだった。

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