ゲーム 作品解説

【RDR2 考察】マイカ・ベルという家族になれなかった男について

Red Dead Redemption 2(以下RDR2)に登場するマイカ・ベルは、プレイヤーであるアーサー・モーガンの視点からは「ギャングを裏切り崩壊に導いた男」として描かれる。
彼は確かに暴力的で自己中心的、そして“憎まれ役”として物語を締めくくるにふさわしい存在に見える。

だが、物語を丁寧に追っていくと、マイカというキャラクターにはもっと複雑な側面が見えてくる。
彼はダッチを裏切り、ギャングを壊すために動いていたのか?
本稿では、マイカ・ベルという男が「裏切り者」である以前の問題として、何を求めてギャングに入り、何を手に入れられなかったのかを考えてみたい。


マイカ・ベルは本当に“悪党”だったのか?

確かに彼の振る舞いは極端だ。
そもそもマイカの原動力は、アーサーのようなや、ホゼアのような理想ではない。彼は「行動で示す」「結果で信頼を勝ち取る」ことに徹している。

  • ストロベリーの強盗では、一人計画を立てて実行し、自ら暴力を振るって状況を動かす。
  • サンドニでは、「派手すぎる」「目立ちすぎる」と非難されながらも、ダッチと共に突き進む。
  • 他の仲間──とりわけビルのような“間抜け”な連中よりも、自分の方が上だと信じている。

彼にとってギャングは、安住の場所ではない。
むしろ「自分の価値を証明する舞台」だった。
特にダッチに対しては、明確な“父子関係”を演じようとしていたように見える。マイカはアーサーやジョンと違い、“理想の息子”を演じた。
ダッチが自分を“愛する父”として認めるなら、それはギャングの中心に自分の席があるということだ。

そもそも、ゲーム開始直後の雪山での振る舞いを思い出してほしい。
マイカは共に雪山を進むアーサーに「最終的にはなんとかなるんだ」と言い、ダッチを信じるよう促していた。

それは単なる社交辞令ではなく、「自分が信じるもの=このギャング、そしてダッチが成すもの」への希望だったのではないか。

また、マイカは他の間抜けな仲間たち(たとえばビル)よりも自分が有能で、貢献できる存在であると信じていた。

その貢献によってギャング内の地位が向上することを望んでいたのであり、最も信頼されているアーサーに対しては、最初から敵意を持っていたわけではなかった。

中盤以降にアーサーが病に倒れ、仲間たちの死によってダッチを疑うようになってから、ようやくマイカの中で彼が「追い落とすべき存在」として認識されていった。
そう考えると、終盤のリーダーぶった振る舞いもマイカの裏切りというよりも「自分の立場と共にギャングを守るための自然な選択」だったのかもしれない。

ダッチという“父”と、マイカという“息子”

RDR2におけるダッチギャングは、犯罪組織であると同時に“家族”のメタファーでもある。 その中心にいるのが、ダッチ=父であり、アーサー=長男、ジョン=次男という構図。

マイカは、どちらかといえば遅れて参加した“末っ子”のような存在である。 彼はダッチに執拗に従い、意見を持たず、常に賛同する。
だが、それは信頼に基づくものではなく、「理想の息子」として父に認められたいという一種の役割的欲求である。

参謀役であるホゼアとのキャンプでのやり取りにおける微妙な空気も象徴的だ。
ホゼアがギャングの「祖父」のような存在であるとするなら、アーサーやジョンを本当の家族として包んできた。
だが、マイカにだけはその柔らかさを見せない。
マイカにとっては自分を受け入れない“冷たい身内”のような存在だったのだろう。それゆえにマイカはホゼアに警戒心を抱き、言動もどこか刺々しい。
この関係性は、彼がギャングを家族“ごっこ”としては欲していても、そこに感情的には入れなかったことを示している。

マイカは誰にも心を開けなかったが、ギャングという“制度”の中で役割を得ようとはしていた。
それは愛ではなく、居場所への執着だ。
彼の「忠誠心」は情によるものではない。根底にある成果と承認のための道具として、忠誠というロールプレイをしているに過ぎない
だが、それでも仮にアーサー(兄弟)が捕まったとするならダッチ(父)に命令されれば助けに向かう。
ダッチにも、彼はそういう男だと見込まれていたのだろう。


終盤、ピンカートンのミルトンはアーサーに対し、「マイカは我々に情報を流している」と語る。
しかし、マイカがピンカートンと密接な関係を築いた具体的描写は、作中では曖昧にされている。

むしろプレイヤーとして注意深く見ていれば、ピンカートンに接触されたのはマイカだけではないことがわかる。
ミルトンはアーサーやモリーにも接触し、最終的にはジョンにも接触して取引を持ちかけているのは初代RDRで御存じの通り。

マイカは、その申し出を検討して「頷かなかった」可能性もまた、捨てきれない。
また、サンドニでの大強盗にピンカートンが襲来するが、その原因はモリーの自白とされていたのも、モリーを見失っていた中で、マイカだけが彼女を偶然に見つける。

一部ではこの発見が「怪しい」ともされているが、注目すべきはそのマイカの反応だ。モリーが「私を見てくれなかった」という旨の想いを叫ぶと、マイカは彼女を侮蔑せず、いつもの冷笑的にではなく、神妙な顔をしながら黙って聞いている

マイカは“モリーの承認されたい欲望”を理解していた。なぜなら、自分もまた“ダッチに認められたい”という欲望に囚われていたから。

つまり、彼が裏切ったという“確証”はプレイヤーには与えられず、
その中でアーサーが「お前がスパイだ」とミルトンの言葉を信じて銃を向けるのは、彼が崩壊したダッチギャングの中で自分の務めと正義を貫くための選択だったのだろう。

マイカが裏切り者だという“証拠”は、物語上決定的には描かれない。
アーサー視点での“疑い”が、プレイヤーの感情に重なる構造になっている。

アーサーとの対立――兄弟から“敵”へ

マイカはアーサーを最初から敵視していたわけではない。
能力においては認めていた節すらあり、アーサーがダッチに従っていた時期は問題視すらしていなかった。

しかしアーサーが病に倒れ、さらにダッチの方針に疑念を抱くようになると、 マイカの中でアーサーは「ギャングという家族の秩序を乱す者」に変わっていった。

マイカにとって、「父性にすがる自分」は脆く、認められることでかろうじて保たれていた。
だからこそ、ダッチを否定しようとするアーサーに激しい敵意を向ける。
それはまさに、父親像が崩れることへの恐怖、そして自分が「家族」から再び追放されるというトラウマの再演だったのだろう。

誰にも愛されず、誰の家族にもなれなかった

マイカはギャング内でも孤立気味だった。
仲間との関係は希薄で、場を和ませるでもなく、感情を共有するでもない。 仲間からは常に一歩引かれた存在だった。

唯一のつながりが「ダッチ」という父性だったことを考えると、 その関係が崩れたとき、マイカに残されたものは何もなかった。

アーサーもホゼアもいない。
ダッチはマイカとわずかに共にいた時間の中で、
彼はジョンに言う。

「一緒にやろうぜ(Why don’t you join us, John?)」

この一言は、ただの時間稼ぎではない。
彼はここで、「再びダッチと共に“家族を再構築”できるのではないか」という幻想にすがっている。

ジョン、ダッチ──かつての“兄弟”と“父”が揃うことで、
自分の居場所を取り戻せるかもしれないという淡い祈り。
だが、家族を取り戻したジョンはその幻想を拒否する。

その瞬間、ダッチがマイカに銃を向け、マイカはついに、「理想の息子」になろうとした末に、父からすら拒絶された存在になってしまった。
誰からも理解も、赦しも、愛も受けずに死んでいく。

ダッチが最後に無言でマイカを撃ち、ジョンがとどめを刺したのを見届けた後、沈黙のまま立ち去るシーンは象徴的である。

それは彼の全人生が否定されるような、残酷な幕切れである。


ジョンへの「一緒にやろう」は、最後の“家族の夢”

最終決戦で、マイカはジョンに「一緒にやろう」と声をかける。 これを単なる時間稼ぎ、あるいは策略と見るのは表面的だ。

おそらく彼の中では、ダッチとの再会を経て「再び家族を作れるかもしれない」という幻想が芽生えていた。
もうアーサーもホゼアもいない。
だが、残されたジョンとダッチで、また何か始められるかもしれない。

しかしジョンはそれを拒否する。かつてのギャングは「もう終わった」と。
それはマイカにとって、「家族の夢」の完全な崩壊を意味していた。

ジョンが築いた新たな家族(アビゲイルとジャック)は、 マイカにとって到達不可能な幸福の象徴でもある。
彼は本物の「家族」というモノを知らないのだから。


マイカは「家族のふり」をした男ではなく「家族になりたかった」男

マイカの物語は、力で忠義を示し、誰にも受け入れられなかった男の悲劇である。
アーサーのように情ではなく、ジョンのように家族ではなく、 ただひたすら「父にとって都合のいい息子」になろうとした末の破滅。

彼の裏切りは冷酷さから生まれたのではない。
むしろ逆に、あまりに人間的な弱さ、そして承認されたいという欲望から生まれたものだった。
マイカ・ベルは確かに敵だった。
しかしそれは“悪”だからではなく、
「認められたかったのに、誰にも認められなかった男」だったからかもしれない。

アーサーが病と罪を乗り越えて“贖罪”を得たのに対し、マイカは最後まで誰かにとっての“正しさ”になれなかった

マイカは“父”に認められたい“息子”だった。
だがその夢は、誰にも届かなかった。
最期まで“家族”を夢見ながら、その家族に殺された。
マイカの物語とは「絆という幻想を信じ続けた者の破滅」だったのかもしれない。

マイカ・ベルはプレイヤーにとっての裏切り者だった。
だが、その裏切りの根底には「愛されなかった者の渇望」が確かに息づいていたのだ。

彼の根底にあるのは、「承認されたい」という人間的な感情に他ならない。
それは、私たちが追い求めるものと、何が違うのだろうか。

だからこそ、世界中のプレイヤーがマイカを嫌いながらも、彼が魅力的であることは否定しきれないのだ。
彼はあまりにも“人間くさくて、哀れなほどリアル”なのだから。

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