ゲーム 解説

【CCFF7&FF7R考察】ザックスとジェネシスの対比。英雄の幻想。女神ミネルヴァに選ばれた存在について

「英雄」とは誰のための存在か

『クライシスコア FF7』は、ザックス・フェアという一人のソルジャーの物語を描きながら、同時に「英雄とは何か」という問いを深く突きつける作品である。

その中で異彩を放ちながら立ち塞がるのが、本作のラスボス的存在として登場するジェネシス・ラプソード。
そして、女神ミネルヴァの存在だ。

さらに、FF7アドベントチルドレンなどでザックスという「人間」が死後もライフストリームから独立して霊的に“生きている”ように描かれるのかという問いは、この物語の主題に通底するテーマになるかもしれないという話を本記事では語っていく。

ジェネシスの変遷──幻想から現実へ

深淵のなぞ それは女神の贈り物
われらは求め
飛びたった
彷徨いつづける心の水面に
かすかなさざなみを立てて

【PS5】セフィロス vs ジェネシス vs アンジール CCFF7Rリユニオン - Sephiroth vs. Genesis vs. Angeal

ジェネシスはFF7原作の前日譚である『クライシスコアFF7』において、自己の身体を蝕む「劣化」現象に怯え、詩集『LOVELESS』に登場する英雄像に自らを重ねようとした人物。
子供の頃から憧れてきた「英雄セフィロス」と叙事詩『LOVEKESS』という二つの宝。
これらはジェネシスの「心の拠り所」であり「呪縛」でもあった。

子供の頃から憧れていたセフィロスに、同郷の相棒である幼馴染アンジールと共に追いついて神羅カンパニーに入社。
「ソルジャー1st」になった時も、彼が自身の出生を知って絶望した後にも、この未完の詩に、自らの生きる意味や作中の「英雄」としての宿命を重ね、現実から逃避するように「物語の中に自分を投影」していた。

そんなジェネシスにとって「女神の贈り物」とは『LOVELESS』に登場する神話に基づく象徴。

ジェノバのG細胞に類する『劣化』に苛まれる彼はこの言葉に取り憑かれ、自分が世界を動かす英雄であるかのように錯覚し、その贈り物=奇跡を求め続けてきた
しかし、作中で実際に何者からも「贈り物」が与えられることは無い。

ここで彼が抱えてきた想いというのを振り返ってみる。
友人でありながらもセフィロスという“完成された英雄”への嫉妬心。
それと同時に彼に追いついて「英雄になりたい」という渇望。

そして彼が求め続けたのが「女神の贈り物」という「物語」の救いの象徴。彼にとっての「女神」とは、救済と奇跡の象徴であり、自身の不完全さを帳消しにしてくれる“何か”だった。
同じくジェノバ細胞を宿した同類としてセフィロスに語りかけて拒絶された後、「解釈はいくらでも可能だ」と開き直るように強がって見せたり、自らの命を脅かすなら「世界を道連れだ」とザックスに語って見せてから、彼は彼で終始切羽詰まっていた。

そして、最終盤で彼がついに対面したその存在──女神ミネルヴァは、静かに首を横に振り、受け入れるように求める彼の願いを拒絶する。
だが、彼の劣化は食い止められ、憑き物が落ちたかのようにザックスに向かって吠える。

そして、物語ラストでジェネシスは「セフィロスにバノーラホワイトを食べてもらいたい」という、子供の頃の純粋な夢に回帰しながらザックスに語りかけている。
この描写は非常に象徴的です。

 女神の贈り物=「過去の幻想」
 バノーラホワイト=「現実のささやかな願い」

ジェネシスにとっての女神の贈り物とは最終的に神でも奇跡でもなく、現実に生きる為の支えになっていた幼馴染アンジールが語っていた「ソルジャーとしての誇り」
つまり「自分自身の気持ち」だったと気づいたのです。

『LOVELESS』の物語は、3人の戦士が女神の贈り物を探し、それを持って世界を救おうとする話。
この中に自分を重ねることで、ジェネシスは「自分には特別な役割がある」と思い込もうとしていました。
しかし、それは単なる現実逃避であり、ある意味では「劣化」という恐怖からの逃げ道でした。

だからこそ、定められたロールとしての「英雄」ではない自分として、ザックスに一人のソルジャーとして挑んで敗れ、最終章を自分で書くという行為は、誰かが描いた寓話から抜け出し、自分自身の足で立とうとする一歩なのです。

これは、セフィロスへの嫉妬や憧れ、英雄神話への執着を超えて、ようやく人間としての自分を受け入れたジェネシスの第一歩と読むことができる。

そうしてこの瞬間が示すのは、
救いは外部からもたらされるものではないという、
FF7シリーズのテーマでもある厳しい「現実」だ。

ジェネシスというもう一人の「幻想に生きた者」

最終章で綴られる「秘かなる牲」とは、ジェネシスの贖罪の決意であり、
過去に囚われた己からの脱却であり、
ミネルヴァに顔を背けられた人間が、それでもなお何かを差し出そうとしているという決意の表れなのかもしれない。

ジェネシスは、物語の最初から最後までを通して、

  • 神話に酔いしれた夢想家
  • 特別な存在でいたいという欲望に囚われた人間
  • 劣等感と羨望の塊
  • しかし最後には「英雄」でもモンスターでもなく、等身大の「ただの人間」としての希望を思い出し、現実を生きることを選んだ者

この旅路こそが、彼にとっての『LOVELESS』最終章=再誕の物語だったとも言えるのだ。神話に酔い続けようとした壊れた夢想家は、ようやく自らの中にしか「救い」がないと悟る。

だからこそ、彼は『LOVELESS』の未完の最終章を、自らの手で書く決意をする。
それは「物語にすがって生きる幻想」から卒業し、
「自分の物語を自分で選ぶ」覚悟の証である。

最期に彼が口にする夢──それは、幼い頃からの憧れである「セフィロスに故郷のバノーラホワイト(リンゴ)を食べさせること」だった。
ミネルヴァから直接の救済は得られなかったとしても、自身の執着と向き合い、内面から立ち上がる道を選んだ

その結果、エンディングでは神羅に保護されるわけですが、それは一見「敗者」に見えながら、精神的には勝者であるとも言えるラスト。

幻想ではなく、現実に生きる“ただの自分”へと帰っていく。
英雄譚ではなく、一人の人間としての再出発である。

そう、表面的には対照的ですが、精神構造は驚くほど似ている。
FF7本編主人公であるクラウドのオマージュこそ、ジェネシスなのだ。


ミネルヴァ──星の意志に最も近い「審判者」

ミネルヴァは『クライシスコアFF7』における裏ボスであり、「女神ミネルヴァ」という名前が示す通り、作中でジェネシスが執拗に求める「女神」に最も近い存在。
『LOVELESS』に登場する女神としても語られるが、その実体はモンスターや召喚獣でも、人間でもない。
ジェネシスが『女神の贈り物』を求める過程で現れ、ザックスもまたやり込み要素として彼女と直接対峙できる。

彼女は超常的存在として、裏ボスという形でザックスの前に姿を現す。

作中の描写やその性質から見て取れるのは、彼女が「星の意志」に極めて近い存在だということ。
ライフストリームそのものではないが、それに属する“強大な意思”の現れであり、いわば人に語りかけるための器のような存在だ。

ジェネシスは自分の元に現れた「女神」に救済を求め、そして、女神ミネルヴァが静かに首を横に振る描写がある。
そんなミネルヴァがジェネシスを拒んだのは、彼がまだ内面の幻想に囚われていたからに他ならない。

ジェネシスは作中、己の「劣化」を呪いながらも、セフィロスとの対等な存在になること。
そして「英雄」としての地位や意味を見い出そうと足掻いてきた。
その動機は、どこか空虚な伝説にすがる「子供」のような幻想にも映る。
しかし物語上、ミネルヴァはジェネシスの「劣化」を癒す存在として描かれている。これは一見不自然だ。
というのも、「劣化」とはジェノバ由来の「G細胞」による遺伝的不安定性であり、ジェノバはモンスターを生み出したり星にとって“天敵”であるはずだからだ。
なぜ「星の意思」の象徴であるミネルヴァが、それを癒せたのか?

おそらくここで重要なのは、「癒したのはG細胞自体ではなく、魂である」という点だ。
彼女が癒したのは、幻想に囚われ、人間性を見失いかけたジェネシスの“魂”だった。
それはつまり「星の敵として」ではなくある意味ではクラウドと同様に「調和できる存在としての再構築」だったとも言える。

自らの幻想を捨て、現実を受け入れたからこそ、彼は己の「G細胞」を排除ではなく浄化し、受け入れたのだ。
彼はミネルヴァにとって真に救済を施されるには足りていない。
自らの夢や欲望の根源に立ち返ることこそが、彼自身の回復の第一歩であると彼女はジェネシスを突き落としながら回復の道を示す。
彼女はただ救済を施す存在ではなく、魂を見定め、ある意味では「完成された者」だけに対峙して試練を与える者である。

ジェネシスはクラウドと違って明確に「改心したり」「仲間になった」わけではない。
だが、求めていた女神と対峙することで身体が癒え、「英雄を演じる幻想」から脱却し「自分の過去と傷を受け入れる」という意味では、クラウドと同じ結論にたどり着いた別の道筋とも言えます。

クラウドの「自分の虚構を受け入れた」ことに通じる復帰です。

ジェネシスは「英雄になれなかった男」ではあらず、
英雄になろうとし過ぎるあまりに「物語」を沿うようにこだわって壊れ、
「壊れた自分」も「世界も道連れ」だと破壊しようとする。
しかし、最終的には自分の願いを思い出し、受け入れて再構築された男。

そしてその姿は、クラウドの物語を違う視点で見直すための「対比」であり、英雄とは何か、真の救済とは、強さとは何か、という
『FF7』世界の主題に沿ったテーマを抱えていた人物だったのだ。


ザックスが彼女と戦える意味──試練を超えた“ただの人間”

では、なぜザックスはそのミネルヴァと“戦う”ことが許されたのか?

ザックスは、セフィロスのような「英雄」ではなく、クラウド達のように「星を救ったヒーロー」になったわけでもない。

彼は終始、自分の夢と誇りを貫いた、まっすぐなただの人間である。

セフィロスやジェネシス、クラウドと同様にジェノバ細胞による改造を受けた存在でありながら、心を失わず、狂わず、英雄を「演じなかった」唯一の者。

『クライシスコア』全体が、ザックスというキャラの「ひとつの英雄譚」でもある。

  • 英雄になろうとして壊れていったジェネシス
  • 英雄であることに破壊されていったセフィロス
  • 英雄になれずに偽りを重ねたクラウド

そんな中で、ザックスだけは師から「英雄であることの本質」を問われ続け、アンジールの求めたそれに応え続けた者です。
その「まっすぐさ」こそが、ミネルヴァから“試練を受けるに値する魂”と見なされた理由だ。
女神との戦いは、敵対ではない。
星による魂の審査であり、ザックス・フェアという英雄の物語の終着点である。

打ち破った後もミネルヴァは消えるのみ。
ただ、ザックスの力と意志を見届け、認めるように去っていく。
これはザックスが“女神を倒した”のではなく「女神」に認められたという、彼なりのエンディング的な到達点を示しているのかもしれない。


ライフストリームに溶けずに残された魂

通常、『FF7』の世界では死者の魂はライフストリームに還元され、自我を失って星の一部となる。
しかし、ザックスはそうならなかった。

FF7ACではクラウドに語り掛けるように現れ、エアリスと共に交感し、「REMAKE」シリーズでは時間軸を越えて存在しているかのような描写さえある。

これは単なる「過去の主人公だから特別待遇」というわけではない。
ただの人間でありながらミネルヴァに認められ、魂の完成を成し遂げたからこそ、還元されずに保持されたのだと筆者は考えている。

ザックスは女神から見ても、神に成り代わることなく、英雄を演じることもなく、ただ夢を抱きしめて誇りを手放さず、友を守るために最期まで正しくあろうとした者。

『クライシスコアFF7』は「英雄の条件」を問う作品ではない。
むしろ「英雄でなくても、人間として正しく生きること」の価値を突きつける作品である。
出生を知ったショックから星の支配者になろうと歪んでしまったセフィロス。幻想に囚われる痛々しさから拒絶されたジェネシス。
虚構の自分を演じようとして壊れたクラウド。

その誰とも違い、最期まで人間であり続けたザックスだけが、
「女神に認められ、魂を保持された存在」であるとすれば、
「人間はありのままの姿のままで、救われていいんだ」という、
FF7全体が訴えかけてくる静かなメッセージなのかもしれない。

英雄ではなく、「人間」としての勝利

セフィロスが神になろうとして堕ち、ジェネシスが英雄神話に囚われて壊れていくなかで、ザックスは最後まで「誰かのために笑い、受け継ぎ、戦い続けて見せた一人の人間」であろうとした。

そしてその選択が認められ、魂が星に還らずに“残される”という、
英雄の栄誉をもたらされた可能性が残されてると筆者は考えてる。

『クライシスコア FF7』は、英雄を賛美する物語ではない。
人が人として生ききることの尊さを描いた物語。

それは決して大仰な勝利ではなかった。
一輪の花のように、小さく静かな、しかし、確かな魂の勝利である。

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