MGSシリーズの最終作は何故「ヴェノム(Venom)」だったのか。
『メタルギアソリッド』シリーズは、単なるステルスアクションを超えた物語体験だった。そこには「戦争」「意志」「ミーム」「アイデンティティ」といったテーマが散りばめられ、プレイヤーに“選択”を迫る鏡となっていた。
しかし一度の完結を迎えたとされた『MGS4』から時代を逆行して『MGSPW』から『MGSV:TPP』にかけての変遷は、シリーズの核心に触れる“夢と現実”の落差だった。
そして、その鍵を握るのが、一人の兵士としての「ヴェノム・スネーク」という存在である。

『ピースウォーカー』が見せた“夢”の正体
『MGSPW』は、シリーズの中でも特異な作品だった。
敵も味方もどこか牧歌的で、戦場の中にある「理想」がまるで本当に手に届くような感覚があった。紛れもなくユーザー層を狙い撃ちにした中高生が思い描いたような“夢の物語”と呼べる。
フルトンで仲間を集めて、基地を広げながら兵士たちは笑い、平和を目指しながら武器を取り、理想を語り合う。
ゲームそのものも軍隊経営ゲームとしての軽妙さやアニメ調の明るいノリによって新規ユーザーを獲得し、仲間を増やし、施設を育てるサイクルの楽しさを与えてくれた。
しかしその空気感は、あまりに柔らかく、どこか“仮初め”だった。
カズヒラ・ミラーはその中で「非国家武装組織の夢」を語ったが、その裏で彼は“現実”を冷徹に見ていたこと。
スネークと軽口を叩き合うが、裏では「軍需経済に依存する自立」を目指していた現実主義者、MSFは理想とビジネスの両立を図る軍事企業の先駆けとなるとボスに明かしたように。
皮肉にもそれは後の時代で戦争経済の世界として彼の思想は引き継がれた。
そうして、同じくヒューイやストレンジラヴもまた、理想を口にしながら、自らの技術欲や亡霊に未だ囚われていた。
つまり『PW』は、“夢を見る自由”を許された最後の場だったのだ。
『グラウンド・ゼロズ』と『TPP』が突きつけた裏切りと逃避行
その夢は『GZ』で唐突に叩き壊される。
核査察への懐疑と恐怖、仲間の死、マザーベースの崩壊。
そして『TPP』では、夢の残骸から立ち上がった者たちの“復讐劇”が展開される。
プレイヤーはあの明るい空気を味わった分、反動的に“痛み”を深く刻まれることとなった。まさに「ヴェノム・スネーク自身の体験そのもの」で、単にキャラを動かしているわけではない。
『MGSPW』は「虚構の理想」
『TPP』は「虚構が崩壊した現実」
それらをプレイヤーの情緒に重ねて体験させる。
プレイヤー自身が「英雄の虚構」を体験する構造になっていた。
理想(PW)から現実(MGSシリーズ)への帰還
ここで真に浮き彫りになるのが、カズヒラ・ミラーやヒューイ等の続投キャラの本質である。
PWの頃から既に夢の中にいても、常に現実の重力を感じていたミラー。
彼はもはや理想など口にせず、復讐のために動き、ビッグボスの信頼も自覚のないところで失い、闇雲に被害者のポジション取りによって、スカルフェイスやヒューイ、クワイエットといったあらゆる存在を敵と見定め続ける。
ヒューイはアニメ好き、オタク、技術にしか興味がない人畜無害キャラに見えたのは間違いなくその息子であるハルの影響だ。
しかし「AI兵器という危うい技術に惹かれる自我」も確かに描かれ、そして後に完全にその“空虚さ”を露呈した。
『PW』ではコミカルで協力的だった彼が『TPP』では自己保身にまみれた“空虚な知識人”として描かれるのだ。

彼は善悪を語らない。
最初から傭兵国家という名の“夢に加担したフリをしていた「観客」”であり、おそらく肝心な時に失敗してしまった故に「夢が崩壊した時」に最も醜悪だと思わせられる逃避者に見えたのだ。
語るのは「僕は間違ってない」「君たちは狂ってる」という他者への責任転嫁だけ。
かつての技術屋は責任を回避しようと、信頼を裏切り、最終的には誰からも見捨てられた。
しかし、これはヒューイ自身が抱えていた病巣だったとも呼べる。

一方で、沈黙を貫いたストレンジラヴは、科学を通じてザ・ボスの意思を再構成しようとした。
だが、それは「命なき神話」を作ることであり、それを情報化社会のイコンとして利用される顛末を察したのか知る由はないが、最期まで理想を手放さなかった結果として死んだ。
彼女はザ・ボスの遺志を継ごうと、“理想を信じて壊れる者”として描かれる。自分の夢を最後まで背負ったまま潰された彼女は、ハル・エメリッヒと遺志を継ぐ者たちすべてを託して果てた。
これらの対比が、夢を信じる者と、利用した者、逃げた者のコントラストを鮮明にしている。
そして、彼らは何かしらを託そうとして足掻いてきたのだ。
「歴史のイントロンにはなりたくない。いつまでも記憶の中のエクソンでありたい。それが私にとって子をなすということだ」
METAL GEAR SOLID2 ソリダス・スネーク最終戦前
MGSサーガの描きたかったものと変遷について
そもそも、MGS1(1998)は主人公ソリッド・スネークは、いわゆる「伝説の傭兵」として呼び戻される。
クローンとしての出自(遺伝子による選別)という“運命”を背負っているリキッドはそれに対し「優秀な遺伝子」に選ばれなかった怒りをぶつける。
選ばれし者 vs 選ばれなかった者という対立だった。
MGS2(2001)の主人公「雷電」は、ソリッド・スネークという“理想の英雄”をなぞらされる。
しかし、その実、S3計画によって「選ばされた存在」であることが露見。
スネークの言葉である「自分の名前は自分で決めればいい」という励ましを受けて、ここで初めて、“選ばれた物語”から脱却する問いが示される。
MGS3(2004)の主人公ビッグボス、すなわちネイキッド・スネークは、ザ・ボスの意志を継ぐ“選ばれし者”となる。
最後は「ビッグ・ボス」として称えられるが、その裏には裏切りと苦悩がある。
彼は“選ばれてしまった者”であり、その運命に抗うことなく呑み込まれていく。
ここから『ポータブルオプス』での分岐があるが、あれはビッグボスであることの覚悟を決めた人間として描いたものであれ、正史のネイキッド・スネークは、いわゆるPTSDを抱えていたままだったので、歴史の中のifとして片付けるしかない。
MGS4(2008)
時系列的な最終作でソリッド・スネークはすでに“老兵”として余命を生きている。「英雄」「伝説」「戦争の象徴」として担ぎ上げられることを拒み、ビッグ・ボスとの最終対話で“継承”ではなく“終わらせる”ことを選ぶ。
ここで完全に、“継がない者=語られない者”が主人公となる。
“選ばれた英雄”の栄光に酔い、“選ばれなかった者”の痛みや怒りを知り、最終的に“選ばない者”として自立する。
Peace Walker(2010)
ここで3の後日談を描き出して、ビッグボスは国家規範を抜け出して理想の実現を目指すも、やがてカズヒラ・ミラーや距離を置いたゼロとの思想の乖離が始まる姿を我々に突き付けた。
「選ばれた英雄」だけではなく「選ばされた兵士」としての自覚が見え始め、苦悩しながらもそれを受け入れて当人なりに「蛇(スネーク)」の名を最終的に捨てる。
その根底には、愛したザ・ボスが育ててくれた「兵士としての自分」を否定して捨てられた、という失望と怒りも混ざった世界に対する八つ当たりがあったのは否定できない。
そして、そのヤケクソの代償を払うかのように「グラウンドゼロ」で理想郷が崩壊してしまう。
The Phantom Pain(2015)
最終作主人公であるヴェノム・スネークは、いわゆる“ビッグ・ボスの影”として造られた存在。
英雄ではなく「代用品」であり、自らの意思ではなく“演じさせられる者”
英雄を演じる“座”を埋めること=選ばれたふりをすること。
ここでは、“英雄”とは演じられる空虚(サイファー)な記号となっている。
だが、ヴェノムはそれを受け入れながらも、あくまで自らの意思で戦うことを選び取って見せた。
選んだり、選ばれることが物語の本質ではない。
選ばないこと(蛇を手放すこと)こそ「選択」でもあるのだと。
MGSという物語の核心であり、小島秀夫が「ゲームというメディア」に託した成長記録でもあったのではないだろうか。
ヴェノム・スネークは何者だったのか
そして、すべての夢と裏切りの象徴が何者でもない主人公、ヴェノム・スネーク。
彼は「英雄の影武者」として創られた存在だが、次第に“自らの意思”で戦い始める。
名前も顔も奪われながら、それでも戦場に立ち、仲間を守り、夢の残骸の中で生き続け、仲間たちは彼を真のボスとしてそれを称えた。
これが意味するのは「誰かのために生み出されて生きたはずの蛇(スネーク)が、最終的にはボスとして“自分(メディック)の物語”を選び取った」という静かな覚醒だ。
クワイエットや仲間たちは彼を“一人の男”として見つめ、彼は“嘘から始まった英雄譚”の中で、本当の「ザ・ボスの意志」を見出された存在になったのだ。
オセロットもまた常に二重三重の裏に立つ男。シリーズ屈指のトリックスターは、なぜ『TPP』では“沈黙”を選び続けたのか。
「すべては、ボスの意思だ。」
そう語る彼はどんな立場であっても「誰かの意志に自分を溶かす」ことに美学を持っている。
彼は“信じるもの”のために、自分という個人を消す。
その意味で、彼もまた“ヴェノム型の英雄”に近い。
実際『TPP』の彼は奇妙なほど“忠臣”として振る舞う。
かつての軽薄さも皮肉も捨て去り、英雄を守る冷徹な演出家に徹していた。
それが“演技”だったのか、それとも“信仰”だったのか。
その判断すらプレイヤーに委ねられている。

だが、彼のヴェノムに対する敬意もまた、本当ではなかったのだろうかとも思える。
敬愛するビッグボスに認められた男としてのライバル心もあったかもしれないが、同じ志を共有し、共に肩を並べた「同志」だったのだから。
ビッグ・ボスの失ったもの、そして継がれなかったもの
では、肝心要の本物のネイキッド・スネーク、つまり「ビッグ・ボス」は何を失ったのか。
彼は最初は“理想”を持っていた。
ただし、それは「兵士が自由に生きる世界」という純粋なもの。
だが、彼が神話として語られるようになりつつある過程で、次々と何かを切り捨てていった。
それは仲間か? 理想か? 己の存在そのものか?
ザ・ボスを失ったことで“自分の戦争”を始めた彼はPW時代も皆が彼のために動いたが、最終的に彼は誰とも心を通わせられなかった。
「誰かと一緒に目指したい理想」という人間的な関係を放棄し、そして「兵士のための楽園」を作ると言い、最初は「兵士が祖国を持たず、理想でつながる世界」を目指していた。
が、その後は理想の実現よりも、理想を“守ること”そのものが目的化していたのではないかとも思える。
皮肉にも、それは後の21世紀で語られ続けているような、愛国者たちのイコン化、つまり徐々にそれは神話の自己保存に変わっていった。
つまり、この時点で「愛国者たち」との戦いに白旗を挙げて、ビッグボスは負けていた。
彼はビッグボス(英雄)であることを守るために、“実際の兵士たちの命”さえ犠牲にし始める。理想を叶えるための力が、理想の骨組みを「自壊させる」ように変わっていったのだ。
後年では彼の名前は既に“幻”となっており、ソリダスやソリッド、リキッドといった“模造品”だけが残されていた。
ビッグ・ボス(BIG BOSS)とは何だったのか――その名は“象徴”として残るが、“人間”としては消えていく。
彼の存在は「理想を持った人間」ではなく「愛国者たち」が統治する上での「世界を形作るためのコード=象徴」に変わった。
『MGS3』で“ザ・ボス”を失って信じられる相手という原点を失い
『PW』で“理想”を喪い『TPP』で“名”を捨て、完膚なきまでの敗北を味わった後に『MGS4』では“過去”と向き合うことになる。
もしかすると、彼が失ったものは「選択(主人公)の権利を他人に委ねたこと」だったのではないかとも思う。
これまで「ビッグボスはこんなにも人間らしい、温かい男だ」と思わせられてきたが、『TPP』では、ヴェノムを「自分の影武者」として立て、自分を“神話”にして消える。
ビッグボスという名前は残るが、それは既に彼自身ではなく“理念の皮”だけとなっていく。そうして、彼はゼロとの戦いの為にヴェノムという“もう一人の自分”に自らを託した。最終的に時を経て『MGS4』で彼はソリッド・スネークの前に現れ、ゼロと共に朽ちることを選ぶ。
そこに、かつての怒りも復讐もないまま、彼は戻ってきた。
彼が認めたソリッド・スネークが“何も継がなかった”のは過去の遺産ではなく、自らの選択で生き抜いたからこそ、一人の男として尊敬していると口にしたのではないか。
それは、英雄になることでもなければ、歴史に名を刻むことでもない。
誰かの意志を「語らないまま」でも、確かに受け継ぎ、自ら行動し続ける。
誰に言われるまでもなく、己の生き方を貫き続けたこと。
自分にはできなかったことを「自らの死を厭わずにやってのけた男たち」に対する挽歌でもあったのかもしれない。
私たちプレイヤーは、何を選ばなかったのか
『MGS』シリーズは、最初“選ばれた者”の物語だった。
英雄、伝説、遺伝子、使命、運命――それを背負う者たちの悲劇。
だがシリーズは最終的に「選ばない者」=選択の自由を得た者の物語へと変化した。それは、英雄になることでもなければ、歴史に名を刻むことでもない。
MGSVが私たちプレイヤーに突きつける最終命題は、
「ビッグ・ボスとは誰なのか?」
「そして、英雄とは誰が決めるのか?」
その答えは、ゲームのエンディングでも誰かの意志を「語らないまま」でも、確かに受け継ぎ、行動し続けるヴェノム/メディックの姿にある。
これは「幻を引き受ける覚悟そのものだ」とプレイヤーに委ねる存在論的メッセージ。
これは言い換えれば、「英雄の誕生」から「英雄の時代の終焉」への物語構造の転換だ。
初期のMGSでは“選ばれし者(chosen one)”としての英雄が描かれ、
後期になるにつれ、その“選ばれること自体”を拒絶する存在が主人公になった。
ヴェノムはその“問い”のために存在したキャラクターであり、
彼自身が物語を自ら紡いで成立させられる“代行者”=Narrative Proxyだった。
“語られなかった意志”
“沈黙の意思(クワイエット)の継承”
“選ばれなかった者たちの物語”
それこそが、メタルギアが最後に到達したメッセージであり、
プレイヤー自身が受け取った“もう一つの真実”だった。
ネイキッド・スネークは何者にもなれずに時代から取り残され、忘れ去られた過去の男として物語の完結を見届けた。
片やヴェノムは選ばれたのではない。演じることを選んだが復讐の想念や鬼(Venom)から脱却し、『アウターヘヴン』という自らが築いた主として、皆にとっての本物の『ボス』として語られるようになるにまで至った。
そして、ソリッドは遺伝子を継いだが、そこに従わなかった。
だからこの物語の終着点は、英雄譚(VIC BOSS)を望んでいたプレイヤー自身への問いかけでもある。
「何者でもない、在りのままのあなたは、何を残したいのか?」
それこそが、シリーズの最終的なメッセージなのかもしれない。