アニメ 作品解説

『遊戯王VRAINS』が本当に描いていたもの――「答えのない世界」で、それでも選び続けるという命の証

作品のメインテーマは「一歩を踏み出し、トライしよう!」
情報過多により、実際に経験する前に諦めてしまう子供達に対して、自分の好きなことや興味がある事に対して、一歩を踏み出しトライして欲しい。そんな想いから生まれた作品である。

『遊戯王VRAINS』における「トライ」というテーマは、これまでのような単なる困難克服や成長譚ではない。
正直、この時点でこの作品自体ただの一過性の娯楽(エンタメ)として消費されることを最初から拒んでいる状態とも呼べる。

『遊戯王VRAINS』は、

  • 見る人の年齢や経験によって評価が変わる
  • 社会やテクノロジーとの距離感で意味が反転する

という非常に珍しい遊戯王シリーズ。
そして、その集約でもあるラストデュエルで語られた言葉は、シリーズ全体の回収となっている。

遊作が相棒AIに向けて語る「答えのない世界を、それでも歩み続ける」という姿勢
「正解」が用意されていない世界では、善悪すら後付けでしか定義できない。
意味があるかどうかわからない行為を、それでも選び続けること。
それでも「選択しない」という逃げだけは許されない。

この状況下において、

  • AIや生みの親である鴻上博士は「最適解」を求め続けた存在
  • 主人公である遊作(人間)とは「失敗を含んだ選択」を引き受ける存在

として、決定的に分けられている。

つまり、ここにおける「トライ」とは最適解の探索をやめ、責任を引き受けること。
これが遊作のメッセージであると同時に、視聴者への宣告となった構成と化している。

最終的にVRAINSが挑んでいる相手は、

  • AI
  • ハノイの騎士(サイバーテロリスト)
  • SOLテクノロジー

ではない。

最大の敵は、「正解があると信じて思考を止める態度」そのもの。
だから遊作は、

  • 楽観的な希望を語らない
  • 勝利の幸せを保証しない
  • 明確な未来像を提示しない

この三つを守りながら、それでも「歩く」とだけ言う。

「命は……意思は、たった一つなんだ。もし、俺がお前と融合したら、それは俺じゃない。そして、それはお前じゃないんだ」
「Ai、生きるということに答えはない。誰もが苦しくなると楽になる為の答えを求める。簡潔で絶対的な答えを。
だが、もし、答えがあるとしたら――答えはない、だ」

遊戯王VRAINS 最終話

なぜデュエルを「アバターではなく現実世界で完遂させなかった」のか


本作の特徴は、最先端技術によって構築された現実と遜色ないVR空間、『LINK VRAINS (リンクヴレインズ)』内でのデュエルが挙げられる。
しかし、演出的には「現実で向き合う」「仮想を超える」という展開の方が王道で、わかりやすいカタルシスがあった。

それをあえてやらなかった理由は、肝心の遊作自身や葵が未だに現実(リアル)に居場所を見つけられず、帰属先を見つけられないままネットを彷徨っていること。
トラウマや傷は克服されていないままで、社会的関係も回復途中という未解決の状態を、意図的に残されていることが視聴者にも忘れられがちなのだ

VRAINSは「克服」を描かない。
描くのは常に「継続」と「選択の更新」にある。

アバター=偽りの自分、ではない

ここが重要なポイントで、VRAINS世界の主役キャラたちのネットアバターは、よくある「本当の自分を隠す仮面」ではない。

むしろ、現実では言語化できない意思としては

  • 抑圧された願いや怒り、決断。
  • 願望に向かって進みたいという衝動

先に形にした存在

つまり、アバターは「嘘の自分」ではなく「先行する自分」でもある。
現実の遊作がまだ追いつけていないだけで、
彼が“なりたい方向”に進んだ強い姿がPlaymakerであり、それは葵にとっての絵本「青い涙の天使」である『ブルーエンジェル』だったのだ。

AIとの対比で浮かび上がる意味

AIは、

  • 進化(自己更新)はできるが
  • 価値の再定義はできない
  • 不確実性を引き受けられない存在

それに対して遊作は、

  • 不完全なまま
  • 現実と乖離した状態でも
  • 「それでも選ぶ」ことをやめない

だからラストが仮想空間リンクヴレインズで完結すること自体もまた、人間は完成してからの姿で戦うのではない。
未完成なままでも、たとえ新しい世界のフィールドに立とうと戦い続けるというのが『遊戯王VRAINS』の主張になっている。
そして、ある意味では我々自身もまたアバターを纏いながらも「終わっていない話」を突きつけられる感覚になるのだ。

そして、この姿勢こそが「トライ」だ、という冷たい定義が全編に流れています。
打ち切り説というのも有名な話ですが、結局何を描こうと思っていたのか、放送当時は伝わりにくい印象でした。

「リンク召喚=ネットワークの繋がりの方向」という発想

VRAINSで最初に決まった核は、キャラでもストーリーでもなくデュエルがネットワーク上で行われる世界

これは遊戯王シリーズとしては大きな転換点です。

  • デュエル=個人の才能や精神性
  • カード=信念や魂の象徴

という従来構造とは別に、

  • デュエル=接続・共有体験(リンクマーカーの方向)
  • 勝敗=名声のアルゴリズムと情報(アイテム)獲得に寄せた

ここで制作側にはおそらくVRAINSには「途中で迷走してこうなった」のではなく、最初から“伝わらないことを覚悟したテーマ”も含んではいた。

ただし、それを支えるだけの視聴環境とシリーズ文脈が、当時は整っていなかった。
いずれにせよ「これは子供向けの成功譚にはならない」
ということを最初から理解していたとは思われる。

「アルジャーノンに花束を」

企画段階で想定されていたテーマ

VRAINSが最初から内包していたテーマは、かなりはっきりしている。

  • ネット社会で“個”はどう扱われるのか?
  • 繋がることで人は救われるのか?
  • AIは人間を超えた時、敵か、己の鏡か?
  • 承認と存在価値はどこに置かれるのか?

これらはすべて、2016〜2017年時点では「早すぎた問い」でした。
SNSはまだ成長期で、生成AIは一般化しておらず「承認疲れ」「アルゴリズム社会」は言語化されていなかったこともある。
あとは放送当時は伝わらなかったのか理由は単純で、当時のエンタメ連呼からのシリーズ文脈と噛み合っていなかったのも大きい

遊戯王シリーズに期待されていたもの

  • 成長する主人公
  • 分かりやすい悪役
  • 勝利によるカタルシス
  • 絆が報われる展開

VRAINSが実際に描いたもの

  • 完成された戦う主人公(プレイメーカー)
  • 悪も“理由”を持つ敵
  • 勝っても根本的な問題が解決できないデュエル
  • 絆が壊れて失いながらも進める姿

これは、ある意味では意図的なズレです。
よく「打ち切りだから雑になった」と言われるものの、正確な指摘ではない。

  • 大枠のテーマは序盤から既に一貫して描かれている。
  • Aiの結末は最初から用意されていた可能性が高く、イグニス全滅は思想的に一貫している。

ただし、視聴者に噛み砕いて説明する時間が足りなかった。
だからこそ、数年間という長期に渡って放送されるのもあってキャラの関係描写の地続きな分かりやすさがない。唐突に見える入退場が増え、意味が途切れ、即興的に見えた構成になった。

VRAINSが「何を描こうとしたか」を一文で言うと

「最適解」が求められてそれを叶える存在がいる世界で、人間はどうやって“選択する存在”で居続けられるのか?
そして、その答えは提示されない。
なぜなら、答えを出した時――それはAI的思考になるから。

だから主人公は「何も獲得しない(プラスにならない)」
遊作は、世界を救ってもアバターである「Playmaker(プレイメーカー)」の正体を隠し続けるから称賛されないし、共に戦った仲間とも日常では距離を置くし、未来も保証されない。
しかし、彼はそれでも自分で選び続けることを誓う。
これがVRAINSの結論。

今になって再評価される理由もまた

  • AIが身近になり
  • 創作と学習の境界が曖昧になり
  • 承認が数値化され
  • ネット上の人格が現実を侵食する

今の世界は、VRAINSの前提に追いついた。
だから今見ると「暗い」というよりも「現実的」な重たさやら、VRAINSは説明が難しかった思想作でもあるとわかるはず。

作品側は最初から、善悪の問題ではなく「人間の判断権がどこに退避されるか」という構造問題として捉えた。

当時の視聴者には早すぎたが、今の視聴者にはようやく掴めるもの。
放送当時は伝わらなかった。
だが、だからこそ今になって解像度が上がって見えるものがあるはずだ。

次回、鬼塚や葵などの初期キャラクターの扱いと変遷の描写について。

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